小学3年生の誕生日の日に戻って、亡くなったおばあちゃんに直接謝りたい。
「あんなこと言って、ごめんね。プレゼント、今でも大切にしてるよ。」
15年前のわたしの誕生日。家族からお祝いしてもらい、それぞれから誕生日プレゼントをもらった。おばあちゃんからはわたしのお気に入りのキャラクターがついた手袋とマフラーをもらった。
でもやっぱり「おばあちゃんは選んでくれなかった」と思ってしまった
「これ、おばあちゃんが選んだプレゼントじゃないよね。」
感謝の言葉もなく、言い放ってしまった。
なぜなら、おばあちゃんからもらったプレゼントを母の車のトランクで見てしまっていたから。まだ、考えが幼かったわたしは、母が買ってきたプレゼントをおばあちゃんは、そのままわたしに渡しているだけ。最低と思ってしまったのだ。
その後、母に呼び出されて、おばあちゃんの気持ちを知った。
「おばあちゃんはね、好みがどんなものかわからなかったからお母さんにお願いしたんだよ。」
少し意味がわかった気もしたが、お母さんが選んだプレゼントをおばあちゃんが渡してることは変わらないと思った。
そしてなにより、一度素っ気ない態度をとってしまったからこそ、素直に謝れないというのが一番大きかった。
「ありがとう」言いたいのに、誕生日の出来事が頭をグルグル回るばかりで
誕生日から2ヶ月後、おばあちゃんは突然、亡くなった。
お母さんに誕生日プレゼントを買いに行ってもらっていた理由はもうひとつあった。
体調が良くなく、買いに行くことが出来なかったのだ。
おばあちゃんはわたしの前では、いつも笑っていたから、体調が悪かったことにも全く気づいていなかった。
幼い頃からたくさん遊んでくれたおばあちゃん。いつも笑っていて、華道や茶道が得意で
着物がとても似合っていて、品がある自慢のおばちゃん。
静かに眠るおばあちゃんを目の前にして、本当だったら「ありがとう」を伝えたかったのに、誕生日のこの出来事が頭の中でグルグル回るだけだった。
誕生日の日、素直に「ごめんね」といっていれば、最後に「ありがとう」を伝えれたのに。
ボロボロになった手袋とマフラーを見るたび思う。あの日に戻れたら
おばあちゃんの形見となった、おばあちゃんからの最後の誕生日プレゼント。
小学6年生まで、冬になれば毎日つけてわたしの宝物になった。
最終的には、手袋には穴があいてしまい、マフラーについていたキャラクターの飾りはほどけていた。
未だに、大切に持っている手袋とマフラー。
しかし、見るたびに思い出す、おばあちゃんに伝えられなかった思い。
人はいつ亡くなるかわからない。もちろん、自分もいつ人生のピリオドが訪れるかわからない。だからこそ、思ったことは素直に伝えよう。
わたしは、15年前の誕生日のことがきっかけで自分の思いは、素直に伝えるように心掛けている。素直になってから、自分の周りに、自然と素敵な人がたくさんいる環境になったような気がする。
素直に伝えることで、環境すら変わってしまう。言葉って、最強の魔法かもしれない。
今、伝えなかった「ごめんね」があなたの一生の後悔になるかもしれない。
伝えるのに勇気がいる時もある言葉だが、一度の勇気と一生の後悔どちらが自分にとって良い選択か是非、考えて欲しい。
「おばあちゃん、あの時はごめんね」
過去に戻れる切符があるなら15年前の誕生日の日に戻って、おばあちゃんに謝りたいと思う。