わたしが働く理由。
最初は、大人としての振る舞いを学びたかったからだった。

当時ハタチ。
役者を目指して東京に出てきたものの、進学先の芸術学部では思った様な授業が受けられず、学部の人間が多かったアングラ演劇サークルにも馴染めなかった。
私は漠然とした不安感に苛まれて、オーディションサイトに日参する様になった。
しかし一般公募に集まるオーディションなんてたかが知れていて、高いチケットノルマを課すだけの小劇場演劇がその大半を占めていた。偶に好条件の募集を見つけても、送った書類は梨の礫…。

弱冠ハタチ。大人の環境を追い求めて知った挫折

そんな中で、とあるワークショップを見つけた。
体験レッスン3回まで、お試し価格が一回2000円と貧乏学生にもなんとか手が出せるお値段だった。
ワークショップであって、オーディションではなかったが、少しでも何かのきっかけになればと、藁にもすがる様な思いで申し込みをした。
今思えば、詐欺とはいかないまでも、食えない役者先生が公民館の一室を借りて行う小規模ワークショップで、なんとか演劇を飯の種にしたい悪あがきのひとつだったと言っても間違いはないと思う。
ただ、田舎から出てきたばかりの純朴だった私は、業界を知る初めての大人の存在に浮き足だった。先生の御高説も勉強だと思って聞いていた。後進の指導に熱心ないい先生だな、と思った。
丁度お試し期間が終わった夜、先生から一通のメールが届いた。
そこに書かれていたのは今後の受講料に関してだった。一回のワークショップに対して5000円。それが毎週一回。
金額がさほど大きく変動したわけではないが親の仕送り頼りの大学生には厳しい金額だ。通うことは残念ながら無理だろう。でも、初めて出会った業界人との関係も切りたくなかった。だから私は、無邪気にこう返信した。

ワークショップには金銭的な問題で通うことが出来ません。ですが、私はまだ知識も浅いため、今後も養成所選びなど、ご相談に乗って頂けないでしょうか。

まだ世間を知らない子供の無邪気さだった。
熱心な先生だったので、色良い返事を期待した私に飛び込んできたのは、原稿用紙2、3枚に匹敵するだろう『お叱りの言葉』だった。
曰く、金も払わないで情報を得ようだなんて大人のすることでは無い、と。大人のすることではない、という文字に至ってはサイズや色まで変える拘りようだった。
それ迄、家族や先生くらいしか大人と関わった経験が無かった私は、ここまでの長文で感情も露わに叱り付けられたことに動揺した。
そして『大人の振る舞いではない』と言われたことにショックを受けた。
悔しくて、悔しくて、その日は泣きながら家に帰った。
帰宅してすぐPCを起動し、求人サイトを検索した。
そこで応募したのが、今も勤めている家電量販店だ。
求人欄の写真にはスーツ姿の青年の姿。なによりも、社名に株式会社と書かれていることが大人の象徴の様に感じた。
ハタチ、若かった。

時を経て、輝きを失い出した当初の目的

入社後、知識を蓄えて行くことが、周りの同級生よりも社会に近づいている証のようにも思えていた。しかし、一、二年経ち会社に慣れて行くうちに当初の目的なんて忘れてしまう。大学を卒業し、就職するでなく、当初の目標だった役者の夢を叶えるためにオーディションに明け暮れる様になった私は、今度は夢の為に働くようになった。
役者稼業は金がかかる。私のような所謂底辺役者にとって演劇とはヘヴィーな趣味と同義だ。
舞台公演の稽古は一ヶ月程度、少ない現場でも稽古は週3回はあり、半日程度は拘束される。それでもギャラはチケットのバックのみ、ということはザラで、それも数百円程度のことが多かった。拘束期間が長いので当然バイトのシフトにもあまり入れず、雀の涙の収入。そんなジリ貧生活でも将来の輝かしい夢を希望に打ち込んだ20代前半。霞を食って人が生きられないように夢だけで人は生きられない。

25歳ごろ、だっただろうか私は疲れ始めていた。打開策を探してもうまくいかない日々フリーランスだからロクな案件にもありつけず、知り合いばかりの小さい界隈でチケットを回しあっているのだろうかと、所属事務所を探し始めた。
でもその頃にはどこに行っても年齢を理由に難色を示される様になっていた。
何ひとつ憧れに近づけていないから夢には踏ん切りをつけることが出来ず、でも夢からは目を覚ませと言われている。
現実を直視したくない私は、オーディションを受けることすら辞めて、唯々生命維持の為だけに働いている。
非正規雇用なので、娯楽に費やせる金額だってたかが知れている。
やりがいなんて微塵も感じていない。
同級生は役職に就いたり転職をしたり。結婚ラッシュなんかもやってきた。
周りは自分で自分の舵を切ってキラキラ輝いているように見える。

何者かになりたいが、さぁ矛先は。辛い世の中の評価が待つ30代に

今年、29歳になる。
漠然とした不安は年々大きくなり、そろそろ目を逸らすことも難しくなってきた。
演劇以外にしたい事が無いを理由にアルバイト生活を続けてきた。
それも、社会人として働きたくなかっただけでは無いかと、最近は思い始めて憂鬱だ。でも、じゃあこれからの人生何をやりたいのかという具体的な展望も無い。焦って手に職を!と思って向かった職業訓練校の説明窓口では、まず退職しないと何も始まらない、生活が出来ているということは安定した生活を送れているということだと困った様に笑われた。
必要最低限、生きていくので精一杯の自転車操業を安定した生活と言うのならば、この国は本当に『生かさず殺さず』を地で行っているんだなと途方もない気持ちになる。

貰って帰ってきた冊子を捲れば、年齢制限に30歳までのボーダーがチラつく。
20代、色々な事に挑戦しろと盛んに謳われる世の中で、でも結局何者にもなれなかった時。やってきた30代では既に何者かになっていることを求められている。
新たな舵を切ることも出来ず、何者にもなれない我々は何処に向かえばいいのだろうか。