『結婚して子供も産んで、専業じゃダメなの?』ってよく周りに言われる。
『よく働くね。』そう言われる。
ふと、なぜ働いているのかを考えた時、答えが出なかった。

働く理由。きっとそれは人それぞれだと思う。
働くのが当たり前。お金が無いから働く。仕事が好きだから働く。育児だけだと気が滅入るから働く。
私にとってはどれも正解。でも、私にとっての本当の理由なのだろうか?
そう自分に問い質した時には言葉が詰まる。きっと、他に本当の理由があるからなんだと思う。そして、私は過去を振り返ってみた。そこに何かヒントがあると思ったからだ。

20代前半。転職回数、なんと5回。大事にしたいのは、学び続けること

私は20代前半にして5回もの転職経験がある。誇れたものじゃない。でも、無職になることだけはなかった。
1つ目は体格的に合わない仕事だったのと、学んでしまうとそこでおしまいな仕事に思えてつまらなかった。
2つ目は大好きな仕事ではあったが、やり方が信条に合っておらず、お客様にメリットのある案内をすれば、上司から会社としての利益がどうのノルマがどうのでお説教され、商材の押し売りばかりさせられる。だから職場の人間関係もギスギスしていて続かなかったのと、結婚を機に引っ越したことで、勤務地もめちゃくちゃ遠くなったことが理由で退職。

3つ目は産後復帰したけど、復帰したのが産後4ヶ月。家事も育児も1人でこなしてフルタイム。加えて復帰後の部署はなんとも教育がされていないというか、言うことがちぐはぐで、集めた情報を元に効率化出来るシステム作ったら余計な事しないでと言われる始末。ストレスが酷くてギブアップした。
4つ目は、パワハラとセクハラによる嫌がらせ行為でのメンタル不調。
5つ目は、ライフスタイルに働き方が合わず。

ものの見事に理由がバラバラ。でも、どの仕事も共通して言えるのがインプットとアウトプットの関係性。もっと言えば、学びがあるか。そして、その学んだ事を私が使う、教える事で誰かが得する。コレが重要なのではないかと思った。

きっと、そこにヒントがあるはず。特に結婚後は旦那の稼ぎだけでも食べていけたのに、わざわざ働いていた理由はなんだろう。そして、私は当時の事を思い出し、コレじゃないか!?となる答えが出た。それは産後の職場復帰にあった。

誰かに必要とされたいわけじゃなかった。ただ自分が楽しいからだった

産後は頭が上手く回らなくて物忘れが激しいし、疎外感をとても感じた。しかも、家に居てばかりだからか、人との話し方を忘れていく。ただでさえ「コミュ障」で、かつ、周りの目を気にしてばかりの人間が、なんの生産性もなくなってしまえば生きている意味を失う。
とにかく、他者への依存心が極度に高いと思っていた私なので、この時誰かに必要とされたかったのではないかと思っていた。だから、私は働いたし、働きたかったと勝手に思った。
だが、本質はそこではなかった。

私は自他共に認めるほどの雑学人間で、友人や旦那にもその点でよく頼られる。
それが嬉しかったのだ。また、何かを学ぶということがこの上なく楽しく感じる人間でもある為、同じ日々の繰り返しで学びがないことへのストレスが酷かったのだ。

そうか。私は何かを学んでいないと死んでしまう人間なのか。だから働いているのか。そして、その学びをアウトプットできる場が欲しいから働いているのか。
とても納得の行く答えが出た。やっとこれだと思える答えが導き出せた。
でも、何でこうなったのだろう。それは幼少期にきっかけがあったように思う。

大好きなおばあちゃんの願いを、これまでもこれからも守っていく

私の名前は祖母が付けてくれた名前だ。詳しい由来は省くが、端的に言えば『人の為に動ける清い心を持った子に育って欲しい』、そんな願いが込められていた。
それを聞いたのが小学校低学年の頃。自分の名前の由来を調べる授業の一環で知ったことだ。
我が家は両親が共働きで帰りが遅いことも多かった。その為、よくおばあちゃんと一緒にいた。だからなのか、自然とおばあちゃんっ子になった。

その授業以降、おばあちゃんっ子だった私は、おばあちゃんの期待を裏切りたくなくて、必死でそれを守って生きてきた。その願いに苦しめられたこともいっぱいあったけど、人としての大事なものが含まれていると思っている。だから、これからも守り続けていくし、私は私にしかできない事で誰かの為になりたい。そう強く思うのだと思う。

その証拠に、私は接客業と非接客業で極端に勤続年数の差が出るのだ。
それは、接客する上でまず学ぶことから始まり、その得た知識で誰かの役に立つということがわかりやすいのが接客業だからだと思っている。

これからも、飽くなき知識の探求のために働き続けたい

今回、このエッセイを書くにあたって初めて真剣に考える題材だっただけに、様々な発見があった。
1つは、今は会社に勤めている身ではあるが、いずれは自分の経験で、自分の知り得た情報で、そしてこれから知り得る情報で世の為人の為になる事業をやっていきたいと考えるきっかけの一つになったこと。

2つ目は、人生観の見つめ直し。きっと、こうして深く考える事がなければ、ずっと自分が働いている理由も意味も、何もわからずただただ日々を浪費していたと思う。思うと言うよりも、確実に無駄にしていた。今回書くにあたって大きく意識的に変わった点が、産まれ、生きている限り、自分の人生は自分で決める権利を持っているし、より良いものにするのも、はたまた、ただすり減らす日常を送るのも自分次第だということ。どうせなら死ぬ最期の時に後悔は少ないほうがいいし、振り返った時に『まぁ、自分の人生良かったんじゃない?』そう思えたら良いな。そう思えるようになった。

ある種、今書いているこの文章ですら自分の思いや過去の葛藤、様々なことを改めて振り返り、文にすることで得られた気づきと学びがある。こんな拙い文でも読み、感じ、なにか気づきを得る人もいるかもしれない。そう思うととても楽しく、胸が踊る。人生こうでなきゃな!って思う。こう言うことを繰り返して未来がある。なりたい自分になれるのだろうとも思った。

だから、私はこれからも変わらず飽くなき知識の探求を働きながらするのだと思う。出来れば生涯現役で働いていたいな。