音大に行くの?芸大に行くの?
音楽や美術が好きだった私は、周りから音大や芸大の話をよくされた。
そんな中、私が選んだのは地元の教育学部のある大学だった。
両親が教育関係の仕事に就いていたこともあるが、私は大好きな音楽や美術を嫌いになりたくなくて、仕事にする道を選ばなかった。好きなことを仕事にして、うまくいかなくなった時、大好きだったものが嫌いになると思ったからだ。大好きなことが大嫌いになることが怖かった。
私も教員になりたい!そう決めていた私は、教員を目指すにあたって妥協したくなかった
大学では一生懸命勉強した。教員の大変さは両親を見ていたら理解できた。責任を持って働こうと決めていた。
なぜなら、小学生の時から教員になろうと決めていたからだ。小学生の頃、尊敬できる教員とも出会い、私も教員になりたい!と思うようになっていた。
小学校の教員を目指すにあたって、塾でバイトをすることに決めた。家の近くの塾でバイトをするようになり、小学生から高校生までの生徒と接した。そこで子供たちが学校で直面する悩みや戸惑いを把握することにした。複雑な人間関係や、親の期待などに押しつぶされそうな児童生徒に寄り添い、教員になったらときに生かそうと思った。
また、小学校の前のことも知っておく必要があると思い、大学に通いながら保育士資格を取得した。大学では幼稚園教諭と小学校教諭の免許を取得した。
仕事に妥協したくなかった。1人の社会人、1人の教員として恥じない生き方をしようと職についた。
夢を叶えて教員となった。働き始めて気付いた理想と現実の差に、幾度となく泣いた
そして、小学校の教員として働き始めた。
子供のことを中心に考えて仕事をしていると、想定外のことが次々と起こった。上司の資料の添削。何時間も終わりの見えない会議。上司の愚痴を聞く時間。子供のことを考えたくても考える時間を与えてもらえない。サービス残業は持ち帰りを合わせると月に100時間を超えた。
「あなたはサラブレッドだからいいね。」「言わなくてもわかるでしょ。」「できて当たり前でしょ。」
両親が教員だからと、周りからは何でも知っていて、何でもできると思われた。
そして、次々と仕事を押し付けられた。両親は小学校教諭ではなかったので、私はわからないこともたくさんあったのに、まともに教えてもらうことさえできなかった。聞ける雰囲気もなかった。日々の仕事に追われ、余裕の欠けらもない時間を過ごした。
私は自分の働くことに疑問を抱いた。
子どもの気持ちに寄り添いたかったのに、仕事に就いた途端、その時間を奪われた。塾のバイトの方がずっと子どもと寄り添えた。
働くって何?勉強して、信念や責任を持って働こうと思っても、実際はそうはいかない。
働き始めて気づいた。理想と現実の差。
現場は怖かった。幾度となく1人で泣いた。惨めでもどかしくて悔しくて。身体も壊し、ボロボロになった。一年身を粉にして働いて決めた。
もう辞めよう。
私は仕事を辞めた。働くことって結局何?考える時間が増え、ようやくたどり着いた答え
「あなたならやっていけたのに。」辞めると伝えると周りの先生は私にそう声をかけた。
やっていけたとして、何のために働くかわからなかった。
ただ、子どもたちと向き合いたかっただけなのに、結果的には身を粉にして月十数万のお金を無理無理稼ぐだけのものになっていた。
私は一度全ての仕事を辞めた。
しかし、辞めたら辞めたで働いてない自分に不安を覚えた。役に立たない自分が怖かった。時間がある分、考える時間だけが増えた。
働くことって結局何?好きなことで働こうとしたら嫌いになるの?理想と現実は違うから、働くことは苦しむことなの?
違う。全部違う。きっとそうではない。考える時間が増え、ようやくたどり着いた。
働くことはお金を稼ぐため、自分のキャリアを上げるため、人と人との繋がりを作るため、もちろん個々によって捉え方は様々だ。
でも、きっと理由は一つで片付けられるものではない。
働くことは生きること全てにつながる。社会や人生を豊かにするものだということにいきついた。本来はそうあるべきだ。
だから私は、いつか…自分の理想の働く環境を作り上げ、そこでステキな出会いや貴重な経験をしたい。働くってこんなに楽しくて充実したもので、大好きになれるものなんだと思えるように。