思えば、ずっと”持てる側を羨む”ばかりの人生だったように思う。

小学生。急に広がった人間関係にキャパオーバーを起こしてしまい、幼稚園では得意だった人付き合いが、突然できなくなってしまった。友達付き合いが変わらずうまくできて、ずっと人気者のあの子が羨ましかった。

中学生。修学旅行の班が一緒になった男子生徒に、私も含む班の女子をまとめて「ハズレ枠」と陰口を叩かれた。容姿が理由だった。初めて、他の人に顔をさらすことが恥ずかしいと思った。こんな目に合わずに済む、容姿を褒められるあの子が羨ましかった。

高校受験。同じ学校を目指す女子でグループができて、励まし合って勉強したり、とても居心地いい関係ができていた。なのにわたしは受験に失敗して、受かった彼女たちとは、当然のように疎遠になった。寂しさもあったが、あの子たちへの羨ましさのほうが強かった。

大学。脚本家を夢見て入学した。学内コンペには毎回参加していたが、あと一歩でいつも落選。周りの「才能」を知った。ちゃんと採用を勝ち取っていく、あの子が羨ましかった。

いつも、自分より「上」にいる存在を見ては、どうせ自分はああなれないと悲観していた。

他の人の眩しさに目がくらむときにも、音楽だけはいつも、わたしの味方

そんなとき、いつも自分のそばにいてくれたのが音楽だった。
耳にイヤホンを詰めて、流れてくるメロディとリズムのことだけ考えていれば、その間だけは嫌な現実を忘れられた。ダメな自分にも寄り添ってくれる歌詞を読んで、こう思っているのはわたし一人じゃないんだと、勝手に連帯感をおぼえたりもした。
他の人の眩しさに目がくらむときにも、音楽だけはいつも、わたしの味方でいてくれた。

でも、人は何かを成し遂げていようと、いなかろうと、平等に年をとる。
わたしはずっと人を「羨む側」のまま、社会人になってしまった。
気づけば、新進気鋭のシンガーソングライターも、世界規模で活躍しているアイドルグループのセンターも、調べてみると年下だった、ということが増えた。
若くして、社会的に成功している彼ら。そんな彼らより少し長く生きているというのに、成功体験すら全然なくて、人と比べて、落ち込むばかりのわたし。
――わたしの人生、なんだか空っぽだなあ。
そう感じて、次第に音楽を聴くことさえも、なんとなく苦しく感じるようになってしまった。

わたしには、人に負けないほどの「感動する」力があったんだ

人生で初めて、音楽を聴くことから離れていたそんなとき。偶然手に取った本があった。『ロックンロールが降ってきた日』という、様々なロックミュージシャンが、自身の子ども時代からの音楽体験を語るインタビュー集だ。
それに収録の、元THE BLUE HEARTS、現在はザ・クロマニヨンズ等で活動されているボーカリスト・甲本ヒロトさんの言葉が、特に胸に刺さってきた。
以下、一部を抜粋して引用する。

【(略)今誰かを「カッコいいな」と思ってる人たちも、その輝きを今受けています。だから反射させてみてください。あなたはきっと輝く。
自分が感動したっていうことは、人を感動させる力を持ったという証拠だから。勇気を持って楽しく生きて欲しい。】


音楽を聴いて感動したり、深く励まされたりするのと同時に、わたしはいつもそのミュージシャンのことを「羨ましい」と思っていた。自身の技術や才能で、これまで会ったこともない人のことを感動させるなんて、自分にはとてもできないと思っていたからだ。
でもこの言葉で、初めて気がついた。
わたしには、人に負けないほどの「感動する」力があったんだ。

今でも人を羨むことはある。でも、過剰に比べて落ち込むことからは卒業した

待てよ。もっと言えば、わたしがずっと抱いてきた「羨ましい」という気持ちだって、発想を変えれば、人に「感動できる」力とも言えるんじゃないのか?
じゃあ、その力を外に「反射させて」みたのなら?――自分もあのミュージシャンたちのように、人を感動させることができるのかもしれない。

初めて、こんなわたしにも「自信を持てるところ」が見つかった。

この言葉で、わたしはこれまでのコンプレックスを、自信へと変えることができた。
正直、今でも人を羨むことはある。でも、過剰に比べて落ち込むことからは卒業した。
今は、そんな音楽やアーティストの素晴らしさを伝える人になるため、もがいている最中だ。

音楽でもなんでもいい。何かに感動できるあなたにも、素晴らしい力がある。
わたしと、この文章を読んでくださったあなたが、これからも勇気を持って楽しく生きられることを願って。