わたしは付き合った人から、ふられたことしかない。

しかも、毎回テキストベース。年上の人たちには「今どきだね」と言われるけど、どうなんだろう。逆にわたしよりずっと年下の子たちは、どんなツールで別れ話をするのだろう。

一度くらい電話や対面で、別れ話をしてみたい。でも、結局のところツールは関係ないよね。ふる側の心が決まっているなら、覆すことはできないから。

些細な「価値観の違い」が、本人たちにとっては一大事なのだ

大学生の頃から、2年以上付き合っていた人がいた。けれど、社会人になって突然ふられた。ふられた理由は、端的に言ってしまえば、“価値観の違い”だ。この“価値観の違い”の内容は、あえてぼかしたままにしておく。

みんな自分の恋の終わりには、何か特別な意味を求めたがる。でも、“価値観の違い”が理由で別れるカップルなんて、掃いて捨てるほどいるよね。親友の失恋話を一緒に悲しみながら聞くことはある。でも、頭は冷静でいられる。

だから、他人の恋の終わりは冷静にカテゴライズできるんだよね。たいていは心変わりか、価値観の違いか、自然消滅か。ときには心変わりが、とんでもない修羅場において発覚することもある。

他人から見れば「そんなこと気にしなくていいのに…」というような些細な価値観の違いが本人たちにとっては一大事なのだ。

別れ際LINEのやりとりで、どうしても受け入れられなかった言葉

“価値観の違い”については、別れ話の冒頭で突然告げられた。そんな風に考えているなんて、全然知らなかった。だけど、その場しのぎの説得は役に立たない。ましてや、うすっぺらい共感なんて意味を持たない。どうあがいても、わたしには彼を変えられないのだ。

でも、そのままを受け入れることもできない。そんなの、わたしの欲しい未来じゃない。わたしには分かっていた。これは、一方的な通告だ。交渉の余地はどこにもない。わたしの脳は、仕事モードになって処理し始めていた。

数時間に及ぶLINEのやりとりの中で、どうしても受け入れられない言葉があった。「ミノリちゃんと別れたら、たわいもない会話をできる人がいなくなる」。

どうして、ふる側の人間がその言葉を口にできるんだろう。そのときのわたしは、自分の存在をとても小さく見積もられたような気分になった。だから「自分が寂しいだけだよね?」と返信した。

確かに彼の言葉は、少しデリカシーに欠けていたと思う。辛口に評価すれば、表現力も足りていない。そして、社会人になって日が浅いわたしには、ピンときていなかった。今なら分かる気がする。ポジティブな妄想かもしれないけれど、彼なりの褒め言葉だったのだ。

毎日たわいもない会話をできる存在は貴重だ。親しい間柄でも、毎日のように雑談メインのやりとりをすることは少ない。それもそうだ。みんな自分のことで精一杯だから。長年の親友であっても、普段はSNSでゆるくつながっているくらいがちょうどいい。話しかけたいときだけ話しかけられる関係。ラリーが必須の関係は、忙しい毎日を生きるわたしたちには濃厚すぎる。

別れ際に言った彼が言った「言葉」の意味、今なら分かる気がする

ふられた直後のわたしは、恋人を失ったことがつらかった。そして、そのとき手にしていた未来予想図が使いものにならなくなってしまい、途方にくれた。今なら分かる。わたしも“たわいもない会話をできる人”を失ったことがつらかったのだ。

ふと思い出すのは、たわいもないことばかりだ。彼がハリネズミの抱きまくらを溺愛していたこと。彼のおすすめのシュークリームを食べたわたしがお腹を壊したこと。彼が試食コーナーのウィンナーを気に入って3回も食べに行っていたこと。

たわいもないことの積み重ねが、今のわたしを作ってしまった。そして、たわいもないことが現在進行形で、わたしを作り続けている。

よく晴れた休日にテラス席でパンを食べたこと。スプーンを使って、小さな演奏会をしたこと。人生で初めて釣りに行ったこと。これからも、たわいもないことをミルフィーユのように折り重ねていきたい。