「それになんの意味があるの?」
 4年付き合った8歳年上の彼と別れを決めた一言。そしてまた「人として成長したい」思いを理解してほしくて必死だった私を、諦めさせた一言でもある。

魅力は愛情の深さ。身近な人への感謝を伝えるのは素晴らしいと思った

 彼との出会いは、「興味があることはなんでもチャレンジ!今を楽しむ」と心新たにスタートさせた生活が2か月ほど過ぎたころ。
 新天地での生活リズムに慣れていない私に「困っていることはないか」とまめに優しく声をかけてくれる年上の彼。私を応援してくれる彼の存在は大きく、気づけばパートナーとなっていた。

 彼の魅力は愛情の深さだったと思う。
「父さん、今日は一日どうだった?」
 毎晩夕食後にみることができる定番の家族との電話。会話を横で聞きながら、私は心温まっていた。
 彼は、両親はもちろん祖母、兄弟、友人への感謝の気持ちや想いをよく話してくれた。身近な人への感謝を表現することを普段から当たり前にできる彼は素晴らしいと思った。
 そんな彼の愛情の深さの中には、彼自身と私の「つながり」にこだわる一面があった。
 そんな一面が、チャレンジしたい私を応援してくれた付き合い初めの彼の姿を霞ませていった。

彼が望む「つながり」の形。次第にプレッシャーを感じるようになった

「なんで連絡してくれないんだ!」
 ミーティングや勉強会に参加しているとき、また友人との外出や旅行中にも、メールや電話をすることを求めてきた。どんな時も自分と「時間」を共有してほしいという彼の気持ち。私は、友人や同志と過ごす私の時間を尊重し、そして共に大切にしてほしかった。

「なんでそんなことする必要があるんだ!」
 勉強会やミーティングに参加してくると話すと怒り出し、反対してきた。新しい人間関係が自分の「存在」を超えることが怖いという彼の気持ち。
 私は、人として成長できるチャンスを温かく見守ってほしかった。学びや気づき、そして人とのつながりが私の成長に大切なことと理解してほしかった。

 彼が望む「時間」や「存在」といった「つながり」の形。次第にプレッシャーを感じるようになり、彼にウソをつくことが増えた。
「友人の○○○とでかけてくる」は「勉強会ワークショップに参加する」という意味、「母と旅行してくる」は「女友達と旅行してくる」という意味といった調子。
 そんなウソをつくことさえいやになり、断った友人からの誘いや諦めた勉強会もたくさんあった。
「私のことをいつかはわかってくれる」と思いながら、ウソをついたり、たまに正直に話してみては喧嘩をしたりと時間を重ねていった。

寄り添って成長を応援する存在と、いつも一番近くにいる存在と

 4年経った頃、結婚の話がでてきた。一緒にいる時間はよい関係を築けていることが多かった一方で、チャレンジしたい私を理解してもらえないことが結婚を踏みとどまらせていた。

(結婚の話もでてきているのだし・・・)
と、ウソをつかず「ミーティングにいってきてもいい?」と彼に相談してみた。
「それになんの意味があるの?」
 彼が放ったそんな言葉に、重ねた時間は無駄だったと一気に気持ちが総崩れした。
 そして数週間もしない内に、くだらない喧嘩をきっかけとして彼に別れを告げた。

 振り返ってみると、私が8歳年上の彼に対して求めていたパートナー像は、寄り添って私という人の成長を応援してくれる存在。
 しかし、彼の理想とするパートナー像は、いつ何時も一番近くにいてくれる私という存在。

 私の中に「年上なのだから」「愛情深い彼なのだから」と自分勝手な「型」を作り出し、理解してもらえるだろうという甘えがあったと思う。
 彼が、年齢に限らず「その人」が理想とするパートナー像のすり合わせが大切、と学ばせくれたと感じ、感謝している。