物事のきっかけなんて、大抵はしょうもない些細なことだ。
25歳の春、付き合っていた彼に別れを伝えた。
家族以外で初めて、ほぼ毎日顔を合わせて時間を共にした人だ。
そもそも、性格が正反対な2人だった。
出会った当初の印象は、「深くかかわり合うことのないだろう人」の一択。
だが会話を重ねる内に、気が付かない間に、自分にはないものをもっている彼に惹かれていた。
ないものねだりをして足りない部分を埋め合おうとするような感覚で、相手の存在を異質に感じていたからこそ、より興味深かったのかもしれない。
後にその気持ちは彼が抱くものの方が強かったことを知り、しばらくふわふわした気持ちが続いた。
時間を共有し始めて少し経ち、同じ家に帰宅するようになる。
人と長時間過ごすことが苦手なわたしにとっては、まぁまぁハイレベルな試みだった。
どれだけ親しい関係になり、ある程度の期間を一緒に過ごしてお互いを理解した気になっても、育った環境、考え方、意識が違う“他人”という事実は変わらない。
生活をしていく中で発生する数々の違和感に、
いかにして折り合いをつけるのか、はたまたどちらかが譲るのか、話し合いを重ねる日々。
理解され理解したい彼と、お互いを認め合えればいいわたし
自分を知り理解してほしいのと同じくらい、わたしのことを知り理解したいと思い行動に移す彼。
全てを理解し合うのではなく、互いの存在を認め合うことが出来ればいいと考えているわたし。
価値観や捉え方の違いから言い合いになり、会話を幾度となく重ねて解決に至る。
話し合いの最中に心が折れそうになることが度々あったが、それでもお互いを大事に思う気持ちに変化はなかった。
この人と今後の人生も共にしていくのかな、と不確定な未来に夢を見たりもしていた。
落ち着いた日々を過ごしているつもりでも、段々と、でも着実に、目に見えない部分が変わっていた。
思い返すと、気付いてはいたけれど言葉では言い表せない違和感から目を背けて、知らないフリをしていたのかもしれない。
次第に、一緒にいる日々を息苦しく感じることが増えた。
文字通り、浅い呼吸しかできず上手く息を吸って吐くことができない感覚。
互いに自分なりの方法で2人の関係を維持するための努力はしていたが、わたしも彼もそれぞれ仕事が忙しくなっていたことも要因の一つとなり、余裕がなくなり、気遣いに欠ける行動が徐々に多くなっていた。
すれ違いが重なってしんどい、話し合っても折り合いがつかなく時間だけが過ぎる、不満だけが蓄積され解消されない。
マイナスなことばかりが、どんどん積み重なっていた。
彼のことは好き。でも、一緒にいる自分は好きじゃない
そんな日々が続く中、わたしの中である気持ちが沸々と湧き上がり日を追うごとに強くなる。
「一人で過ごす時間がほしい。彼のことは好きなはずなのに一緒にいる自分が全然好きじゃない」
悲しくも自分勝手な考えだが、彼と一緒にいる時の自分を好きだと思えないことが増えた。
大切な存在だという認識はあるのに、関係を続けることを前向きに受け止められない。
そんな気持ちを自覚するのに時間はかからなく、自分本位過ぎるわたし自身のことが心の底から嫌になった瞬間を、今でも明確に思い出せる。
納得したつもりでも心の奥底ではわだかまりが残っていたこと、
我慢をすればそれで丸くなり物事が解決すると考えていたこと。
いかに自分の考え方が幼く、未熟であったかを思い知った。
約2年間の付き合いに幕を下ろすことになったきっかけは、本当に些細な、しょうもない出来事。
余裕があれば気にも留めずに笑ってサラッと流せるような、何でもない内容だった。
でも、その日はいつもとは何かが違った。
彼からしたらいつも通りの行動だったのかもしれないが、その中に1mmも思いやりを感じ取ることが出来なく、わたしの中のスイッチが完全に切れてしまった。
理解出来ないまま、彼は別れを受け入れてくれた。彼の最後の愛情だった
当日の内に、彼に離れたいことを、思っている全てを伝えた。
これまでのこと、これからのことをそれぞれ考えたり、話し合いの場を数度設けたりもした。
離れたい意思を告げてから折れることも譲歩することもないわたしの話を、全て真剣に聞いてくれた。
理解できないままで、彼は受け入れてくれた。
確かに、あれは最後の愛情だった。
「自分が好きな自分」になるために彼と離れる選択をした、なんてとても自己中心的な考えだと思うけれど、
わたしには十分過ぎる理由だった。
ほんの小さなきっかけが、今ある生活に大きな変化をもたらすこともある。
ただそこに至るまでには、ずっと前から、もっと深い場所にいくつもの理由が重なり合っている。
その変化を良いものにするために、
わたしの場合は「自分が好きな自分」になるために、これからも前を向いて生きていく。