「いつも明るいね!」
小学生の頃からだろうか、周りからそう言われるようになった。
そう言われ続けてもう今年で25歳になる。
いつしか、自分の弱い部分を出してはいけないと思うようになっていた。
「いつも笑顔で居なければならない」周りの期待を裏切れず私は弱音を吐けなくなっていた
私だって普通の人間なんだもの、生理の前になればイライラしたり、何もかも嫌になったりもする。けれど、そんな姿さえ他人には見せてはいけないような気持ちになっていた。
そう思うようになったのは、周りからの私に対する「明るい子」という先入観を崩してはいけない、期待を裏切ってはいけない、と勝手に思うようになっていたからだ。
そう思っているうちに、本当の自分を曝け出すことができなくなった。
悩みの相談や悲しい出来事の共有もできなくなっていたのだ。
「どんなことがあってもニコニコしているね!君は強いね!」
入社してから、上司にそう言われるようになった。
私だってお客さんからお怒りの連絡が来れば涙だって流しそうになっている。
でも、そう言われると涙を流す姿を見せてはいけないと思うようになっていた。何を言われても、ニコニコして気にしていないふりをした。
次第に周りは私の明るさと強さに甘えるようになり、身内までも強い口調で私に指摘するようになっていた。
私はいつ弱音を吐けば良いのか、もう後戻りはできなくなっていた。
「いつも笑顔で居なければならない」
その周りの期待を裏切らないことも大切だが、そもそもそんなこと誰からも頼まれていないではないか。いつしかそう思うようになったのだ。
今からでも遅くない、弱い部分を自分で認めていかなければ、自分らしさが損なわれていく気がしたのだ。
「今日は生理前で、すごいネガティブだ…」勇気を出して、友人に弱音を吐いてみた
私だって悔しいこと、悲しいことがあればお風呂で号泣することだってある。寝る前に1人で泣くことだってある。
そして私は、悲しいことや悩みがあれば他人に相談する機会を少しづつ増やしていったのだ。20数年間、毎日明るい自分を演じてきた私には、簡単なことではなかった。
「今日は生理前で、すごいネガティブだ…」
その一言を勇気を出して友人に話してみた。
すると友人からは意外な言葉が返ってきた。
「あなたもネガティブになることあるの!?安心したよ!」
私は安心したという言葉に驚いた。友人は私がいつも明るく、どんな悔しいことがあってもニコニコしている姿を見て、自分がなぜ私のようにいつもポジティブでいることができないのか、そう考えるようになっていたようだ。
しかし、私にもネガティブな部分があることを知り、人間みんなそういう部分はあるものだと感じることができるようになったみたいだ。
この時私は、私の明るさが周りを不安にさせることもあると初めて気づいた。
この出来事が、私の生き方大きく変えていった。
悲しい時に悲しいと言える。自分らしい、人間らしい生き方を大切にしたい
「明るい私」。それは私が私の中で最も好きな部分である。
しかし、それは演じられているものではなく、心の底から感じられているときに限るのだ。
私が思う素敵な人とは、感情を素直に表現できる人である。悲しい時に悲しいと言える、嬉しい時に嬉しいと言える。そんな人間を今は素敵に思う。
自分を作り上げていくのは周りではなく自分自身なのだから。
周りのイメージに囚われ過ぎない、自分らしい、人間らしい生き方を大切にしたい。