高校1年生の冬、わたしは、ある日突然学校に行きたくないと思い、学校を休んだ。
その日まで、一度も休むことなく学校に通い、課題は完璧にして、小テストもいつも合格、定期テストもそれなりに良い順位、放課後は部活動に真面目に取り組み、塾に行って、へとへとになって家に帰る。そして、家でもまた勉強。朝は4時くらいに起きて、また勉強。休み時間も勉強していた。

毎日のように誰かから、「細っ!」と言われるくらい痩せていて、生理は止まっていた。わたしは、自分が痩せているとも全く思っていなかったし、生理が止まっているのも楽だからラッキーと思っていた。今、当時の体重を思い出すと、ぞっとする。

そんな感じだったわたしが、突然学校を休んだその日は、罪悪感でいっぱいになった。明日から行けばいい、と自分に言い聞かせ、次の日を迎えた。けれど、学校には行けなかった。行かなかった、と言った方が正しいのかな。わからない。

最初の頃は、頭痛いとか、体調悪いとか、テキトーな理由を付けて、休んでいた。
けれど、そんな言い訳が長く続くはずはなく、1か月くらい経った時に、担任の先生から電話がかかってきた。わたしは、なぜだかわからないけれど学校に行きたくないこと、サボっている自分に罪悪感はあること、正直に全て話した。
そして、先生は言った。
「人間らしくていいじゃない。」
このひとことがわたしを変えた。

「人間らしくていいじゃない」その言葉で罪悪感から解放された

先生は、「わたしたちは、ロボットではない。わたしたちは、人間だから疲れて何もかも嫌になるのは、当たり前。だから、サボってしまうのは人間らしくていいじゃない。今までのあなたは、まるでロボットみたいだったから、疲れちゃったのよ。」と、わたしに言った。

わたしは、「人間らしくていいじゃない。」のひとことに、すごくすごく救われた。
わたしは、人間だから、疲れて、何もかも嫌になって、サボるのはしょうがない。わたし、人間っぽいことしてる!そう感じ始め、身体にまとわりついていた、罪悪感からくるモヤモヤが取れた気がした。

そして、わたしは人間だから、色んな感情が生まれて、身体が思うように動いてくれないこともある。先生は、わたしにそう気づかせてくれた。完璧主義で自分を苦しめていたわたしは、少しテキトーに、寛容に生きるように変わった。

このひとことのおかげで、私のダメダメな生活を笑うことが出来る

このひとことは、大学3年生になったわたしの生活の中でも大活躍している。
甘いものを食べたくて仕方なくて、けれど太りたくないのに、食べちゃう。
早起きしようと思っていたのに、起きたらもうお昼。
昨日掃除したばかりなのにもう部屋が散らかっている。
お酒を飲み過ぎて記憶が無い。
スマホ見るのを辞めようと決めた3秒後にはスマホを触っている。

挙げたらキリがないけれど、この通りわたしの生活は完璧ではない、テキトーだ。自分はダメダメ人間だ。なんでこんなこともできないの。こんな気持ちが、頭の中によぎる。けれど、何もかも「人間らしくていいじゃない。」って言い聞かせて笑う。

自分のことだけではない。他人に対しても、「人間らしくていいじゃない。」と感じる。お店に行って店員さんに無愛想な対応をされたら、わたしは、不愉快な気持ちになる前に、落ち着いて考える。
店員さんだって人間だ。毎日ニコニコ接客するなんて、到底無理。なんか嫌なことでもあったのだろうな。そして最後に、「人間らしくていいじゃない。」で締める。

不愉快な気持ちなんて微塵も出てこなくなる。他人に対して寛容だと感心されるわたしがあるのは、間違いなくこのひとことのおかげだ。

締め切り当日に、焦りながら必死でこのエッセイを仕上げているわたし、
「人間らしくていいじゃない。」