大学に入学してすぐ、私は留学に行くことを決めた。
これまで、漠然と「留学したい」という気持ちはあったのだが、その時は「今しかない!」と思った。

「今しかない!」そう思った私はボランティアとして働くためにカナダに留学した

留学先に選んだのは、カナダのオンタリオ州、トロントという場所だった。トロントといっても、中心地からは車で1時間ほどかかる、田舎町だった。そのせいか、留学中に日本人に会うことはなく、帰りには日本語を忘れかけているような状態だった。留学にはもってこいの場所だった。

私の留学の目的は、ボランティアとして働くことだった。周囲の友人たちは、語学留学や大学の交換留学をする人が多い。その中で、それらの選択肢を選ばなかったのは、海外に行ってまで勉強なんてしたくない、という消極的な理由だった。

カナダでは、動物保護施設で働いていた。主な業務は猫のゲージの掃除、洗濯、そしてえさ皿やトイレなどの洗い物だった。時間が余れば、猫と遊んで過ごしていた。動物が大好きな私にとって、それは天職だった。もちろん英語力は必要になるが、難しい単語は必要なかった。

「2週間もすれば慣れるわよ」ホストマザーの言葉で、衝動的に決めた留学生活を楽しめた

留学中は牧師さんの家にホームステイをしていた。さまざまな国からたくさんの留学生を受け入れている家族だったので、とても温かく私を迎え入れてくれた。
その中でも印象に残っている言葉がある。それは、「今は、私たちが何をしゃべっているのかわからないかもしれない。でも、2週間もすれば慣れるわよ」というホストマザーの言葉だった。

私は、後先のことをあまり考えずに、半ば衝動的に何かを決めることが多い。
そして、決めた後になって「本当に自分にできるのだろうか」と不安になる。そういう生き方をしてきた。今回の留学も同様で、実際に現地に行くまでは不安で押しつぶされそうになり、夜な夜な泣きながら友達や先生に相談したこともあった。

しかし、初日にかけてくれたホストマザーの言葉で私は安心し、純粋に、留学生活を楽しむことができた。5年前にホームステイをしていたというドイツの人が遊びに来たり、ホストファミリーの親戚が一堂に会したり、とても楽しい時間だった。

「何とかなる」。留学生活は、完璧主義な私に手を抜くことを教えてくれた

2週間も経たずに私は英語の環境に慣れた。しかし、英語が理解できるようになったわけではない。ホストファミリーの会話には相変わらずついていけないし、仕事場での雑談も、ただ聞いていることしかできなかった。つまり、「わからない」ことに慣れただけだったのだ。しかし、それでも1か月私はカナダで生活した。言葉が分からなくても、何とか生活できたのだ。

たった1か月という短い時間ではあったが、その1か月は日本で生活する2か月分にも、半年分にも相当するような、充実した時間だった。私はもともと完璧主義的なところがあった。しかし、この経験が、良い意味で手を抜くことを教えてくれた。

今の社会では、何か目標を定め、それに向かって努力し、それを成し遂げることが美徳とされている。しかし、私はそのような考え方に賛同できない。自分の心の声を聞き、心の赴くままに行動することが、この慌ただしい社会の中で必要なのではないかと思う。

「何とかなる」。この言葉を胸に、私は今日も何かに挑戦し続ける。