「お前みたいなデブでブスは、いくら勉強しても幸せになれない!」
これは、母が私に叫んだ言葉だ。

私の母も祖母も、この家の女は「ルッキズム」に呪われている

高校3年間の拒食症を経て過食症になり、20kg太った大学生の私。過食になって最初の3ヶ月は、母もよそよそしく気にかけていたが、徐々に私を罵倒をするようになった。「見た目が9割、印象は3秒!」「毎日体重を測って、家族全員が見るカレンダーに書きなさい」「19、20歳なんて、人生で1番可愛い時なのにぶくぶく太って」「私の目の前で、乞食みたいに食べるな!」「親戚の家に来たからって、調子に乗って食べてたでしょ!食べ過ぎだ!」

極め付けが、短期大学から4年生大学への切符を手にした私に向かって、吐いた冒頭の言葉である。

母の背後には、祖母の影がある。母が少女だったときの祖母の姿だ。母は小学生のとき、俗にいうぽっちゃりした体型だったらしい。入学式で他の子たちより、大きい母を見てショックを受けた祖母は、その日からお菓子を一切禁止した。おやつは煮干ししか食べさせてもらえなかったと、笑いながら母は言う。

私の祖母は、背が低い。母も祖父もそのことを揶揄う。祖母は自分の子供には、決して身長や容姿で悩んでほしくないと、母の食事にはかなりこだわった。牛乳と納豆を毎日、母に食べさせた。そのおかげで、母は未だに牛乳と納豆が嫌いである。

私が拒食症で、月経が止まるほど痩せていたとき、そのスタイルを喜ぶ母の後ろには祖母がいた。私が過食で塞ぎ込んでいたとき、怠惰な姿だと憤る母の後ろには祖母がいた。「あんたが太ると、私がお婆ちゃんに怒られるんだからね!」そう、この家の女はルッキズムに呪われている。

自分のように見た目のことで苦しんで欲しくないから、子供はいらない

ルッキズムの連鎖は、私にも受け継がれた。過食症になったとき、太った体型は恥だと思い、外に出るのが億劫になった。すれ違う人がみんな「なんて醜い女なんだ」と私を笑っているに違いないと思っていた。

私は「子供を持ちたくない」と言った。「女の子だったらもっと嫌だ」と主張してきた。綺麗事をいえば、自分のように苦しんで欲しくないからだ。でも、本音は私も母や祖母のように、娘の容姿に強くこだわるのではないか。同じように苦しめてしまうのではないかという、自分に向かっての疑念がある。

だから、私の代で終わりにしたい。幸いなことに、地元を離れた今は、充実した社会人生活を送っている。それは、見た目の美しさや端麗さに左右される充実ではない。自分の能力を模索しながら働き、稼いだお金を好きな“もの”や“こと”に使う充実だ。

仕事をするのに、社会の一員になるのに、幸せになるのに、見た目は関係ない。社会人になって、摂食障害だった過去を語る機会が増えた。すると、相手もぽつりぽつりと話してくれる。

子供の頃、男子に容姿をからかわれ、ずっと男性恐怖症だった子。周りに「可愛い!」と言われ続け、それが原因で嫌がらせを受けた子。モデル業の仲間たちが、食欲をなくす怪しい薬を飲み始めて、恐怖に感じている子。

家族、学校、会社…と自分の社会が広がるにつれて、ルッキズムに汚染されていく。だから私は、人が最初にぶち当たる“家族”という社会から、変えていかねばならないと思う。

ルッキズムに呪われた家族。そして、苦しめられたからこそ変えたい!

久しぶりに地元に帰ると、母は嬉しそうに迎えてくれる。私が過食症だったときに投げつけた言葉たちは「もう覚えていない」そうだ。そして、最近は必ず「最近太っちゃって…しかも戻らないのよ!どうしよう…」と体型の悩みを語る。

私は、思いっきり罵倒してやりたい気持ちを抑えながら「気にしなくて良いよ。健康ならいいじゃん。」と言う。

ルッキズムに呪われた家族を変えたい。私の母や祖母を苦しめたルッキズムを取り除きたい。そして、いつかできるかもしれない私の家族をこの呪いで苦しめないように、自分自身を変えていきたい。