「本当に繊細だよね」と言われるたびに、心の中で「面倒ですみません」と呟く。私は、繊細な人間らしい。
みんなが言う「頑張りすぎない」「気にしない」ってどうやるの?
大学に入った頃から、自分はちょっと人と違うかもと気づき始めた。私は人の顔色を異常に伺う癖があって、それが例え自分に関係がないような他人同士の衝突だったとしても、その光景を見ただけで突然不安になって、涙がでてくることもあった。
何か辛いことがあると、テレビの音量が異常に気になって、自分でも神経質すぎると思った。人の気持ちを推し量りすぎてしまい、自分の発言を振り返っては「違っただろうか」と一人反省会をしたりした。とにかく自分に自信がなく、起こる悪いことの根源は、すべて自分のせいだと思ってしまう。
「神経質なんだね」「繊細なんだね」「もっと楽に生きなよ」とか言われるたびに、「面倒な人だね」と言われているような感じがして、その言葉さえも捉え方に迷った私は、どうしたらいいかわからなくて「ごめんね。そうだよね」と曖昧に答えていた。
社会人になって、営業に配属された私はそれでもなお、この“繊細”に振り回されていた。営業は社内・社外問わず、人同士の関わりが多い。競争もある。ノルマもある。日々次々に起こるいざこざに対して、いちいち悩みすぎてしまう自分を早く辞めたかった。誰よりも、自分が一番こんな自分に疲れていたのだ。
……みんなが言う、「肩の力を抜く」「頑張りすぎない」「気にしない」ってどうやってやるの? 教えてください。
HSPの本を読み、自分を初めて客観的に見ることができた気がした
そんな時、たまたま立ち寄った本屋で見つけた本があった。その本の中の主人公は、まさに“私”だった。そこで初めて、私はHSPについて知った。
HSPとは、ハイリーセンシティブパーソンの略で、生まれつき感受性が強く敏感な気質を持った人のことを指す。環境や性格などの後天性的なものではなく、統計的には人口の15~20%の人が当てはまる“性質”であり、病気ではない。
具体的には、過剰な刺激を受けやすい、心の境界線が薄い(他人からの影響を安易に受けやすい)、疲れやすい、自己否定が強い、情報を深く処理するなどが挙げられる。
繰り返すが、HSPは病気ではない。性格の個性である。その本を読んだ時、私はこれまでの自分を初めて客観的に見ることができた気がして、そしてなにより「私って全然変じゃないのか」と思えたことが、何より救われたことだった。
私はずっと、このHSPの正体が何なのかわからなくて、自分の生い立ちや境遇から必死に自己分析しようとしては、失敗した。そして、それでも「楽に生きよう」と思うことに、逆に縛られてしまい、本来の自分を否定し続けてきたように思う。でも、今はHSPを自分の個性として受け入れてあげようと思える自分がいる。
繊細であることは悪いことばかりではない。美しい時もたくさんある
日々「つらいな」と感じる瞬間に対して、どのように対処すれば良いのかを、最近は自分で考えるようになった。
“繊細”であることは、悪いことではない。例えば、些細な人の気持ちに気づくことができる。芸術に触れて、深く心を動かされる瞬間がたくさんある。多様性を受け入れることができる(らしい)など、いいところもたくさんあるのだ。
この世界は、思ったより美しくない時がある。心無い言葉を投げかけられたり、一生懸命やっていることを馬鹿にされたり、信じられないような劣悪な犯罪が起きたり、何もかもうまくいかない日が続いたり、想像もしなかった未知のウィルスが世界を蝕む。
でも、この世界は、思ったより美しい時もある。傷ついて立ち止まった時に手を差し伸べてくれる人もいれば、自分を応援してくれる人も意外にいる。朝の空気が気持ちよかったり、夕方の日が沈む景色が綺麗だったりする。
そんな世界に一喜一憂しては、必要以上に感情を動かされてしまうのって、実はいいこともたくさんあるんじゃないか。
“繊細”で悩んでいる人へ。繊細は個性です。自分を否定し続けることはやめて、その個性にたくさんの愛が注がれることを祈っています。