私には、長い付き合いの4人の友人たちがいる。小学校で知り合い、高校では全員同じ部活に入部した。私達は演劇部に所属していたのだが、顧問の先生はいい意味で放任主義だったので、好き放題遊び…もとい活発に活動していた。

友人らと過ごした楽しい高校時代。大人になった今も変わらない

即興で短い芝居を演じるエチュードでは、相手役と観客をいかに笑わせるかに重きを置きすぎて、一発芸披露の場となっていたし、身体訓練と称して延々とだるまさんが転んだをし、夏場は近所の森林公園に繰り出してセミの抜け殻を集め、部室の網戸に飾ったりした。

事故ではあるが、先輩の顔ギリギリにスライムを投げつけてしまい、この世の終わりのような悲鳴を上げさせてしまった事もある。先輩、本当にすみませんでした。今更ながら高校時代の私達は、アホであったと痛感する。

今はそれぞれ離れて暮らしているが、今時の便利な通信アプリを利用して、頻繁に連絡を取っていた。そんな折、コロナ禍で自宅で過ごす時間が激増し、時間を持て余した私達はまたアホな事に情熱を注いだ。

持っている服を駆使して、極限のダサさを表現する大会を開催し、オリジナルのスタンプを作ったり、レシピサイトである意味パンチのあるレシピを探して見せ合ったり、架空の女児向けアニメのあらすじを考えたりした。やっている事は、15年前とほとんど変わっていなかったが、成果は過去のそれとはクオリティが格段に上がっていた。

いくつになっても私たちは、腹筋を崩壊させる勢いで笑う関係

友人たちとの一連の行動が、高校時代とほぼ変わっていない事について、幼さが残る行為だと思われるかもしれないが、これは決して未熟さ故のものではないのだ。友人も私も30年近く生きていく中で、穏やかに過ごせる居場所を見つけたり、辛酸舐めたりと色々な出来事があったが、根本的な部分は大きく変わらず、今まで生きる事ができた。

これは本当に貴重なのだ。環境や人によってズタボロに傷つけられて、大きく変わっていった人達を見てきたからこそ実感する。

友人と私は、子どもの頃は幼いままでいる事は許されず、大人になった後も傷だらけで生きるような苦境の果てに、全力でふざけ散らすアラサー集団となったのだ。

全力で遊び、時に全力で怒りをぶちまけ、クリエイティブな活動をし、腹筋を崩壊させる勢いで笑う。当時と変わらない感性を持ちつつ、年月によって得た技術や知識を存分に発揮して、ただ自分たちが笑うためのものを生み出すのは非常に快感だった。

友人らと笑い合って過ごした過去は、私の「一生の宝」だと思う

私たちにとって、全てに対してふざけ倒す時間は、ままならない現況に対する大人だからこそ可能なレジスタンスであり、辛い環境を受け入れることが出来なかった過去の自分自身への引導を渡す行為だったのだと思う。

今はそれぞれの仕事や日常生活に戻る時間も増え、ふざけ合える時間もだんだん減ってきた。それは喜ばしい事なのだ。

しかし、あの時ひたすら笑い合う時間を持てた事は、一生の宝になると確信している。この友人らがいたからこそ、私は今を楽しく生きられている。今更こんな事を言うのも小っ恥ずかしいが、これが私の本心だ。