最近「繊細さん」と呼ばれる「HSP」という言葉を耳にしたことはないだろうか。Highly Sensitive Personの頭文字を取って「HSP」と言われている。心理学者のアーロン博士が提唱した心理的概念のひとつである「HSP」。生まれつき繊細さ、敏感さの性質を持つ人たちのことをいう。病気ではなく、心理的概念のひとつで、男女関係なく5人に1人がHSPといわれている。最近HSPの本やYouTubeの動画が出てきて、自分自身がまさにそれだ!と気づくまで25年かかった。

人より繊細で敏感な、わたしの性質を受け入れる。

なんで気づいたかというと、この4月からわたしの仕事は休業になり、丸々2ヶ月のお休みをもらったことで、自分とゆっくり向き合うことができたからだった。電車も乗らない、人に会わない、朝起きる時間も決められてない。そんな突然手に入った自由に、わたしは「なんて生きやすいんだろう…!」と心が踊った。

そもそも、わたしが繊細だと自覚し始めたのは人から言われた一言だった。
「○○ちゃん、見かけによらず繊細なんだね」と、言われることが多かったのだ。周りから繊細、繊細と言われるたびに、「繊細ってどういう意味…?」「わたしってコワレモノ注意ってこと?」なんて思い詰めていた時があった。まさにこの感覚がHSPの特徴であるのだけど。

人が発言した何気ない言葉を気にしてしまう。みんな誰しもあるかもしれないけれど、わたしは家に帰っても、3日経っても、ずーっとその言葉が心の中でコダマしていることもしばしばある。これも生まれ持った性質なのだから、いまは「しょうがないこれはシステムに過ぎない。今日も私のシステムが働いている。」と、思うことができるようになった。

「生きづらさ」は掲げない。優しい気持ちは強みでもあるから。

HSPというとよく関連して出てくるワードに「生きづらい」がある。たしかに100人いたら約20人くらいがHSPといわれていて、マイノリティに当たる。この世界は多数決で動きがちなので、大勢の人がHSPに合わせて生きてはいけないことは、致し方がないことなのだ。その大勢に合わせなければならないために非常にしんどい思いをすることもしばしばあって、それがつまり「生きづらい」になるのだと思う。

だけど、「生きづらい」を公言することはある意味、最後の手札であって、無敵のジョーカーだとわたしは思っている。弱さを見せることは悪いことなのか?と言われるとそういうことではないのだが、「わたしは生きづらい人なんです」と言うことで、同情や哀れんだ目で見られ、マイナスなイメージを自ら掲げることになりかねないだろうなと思うからである。

それを言うこと自体、悪いことではないし、そう感じるのであれば言う人を選ぶべきだと思うのだ。そしてその言葉を伝えることで、周りへの自分の配慮が変わることを期待して言うのは、やっぱりちょっとお門違いだと感じる。「わたしはこういう人なんです。」と信頼できる人たちにありのままの自分(HSPである自分)を伝えていくことは、今後の自分の生きやすさに結びついていくと思う。生きづらさは誰にでもあるけれど、それを武器として持つには脆すぎるのだ。

それにHSPの人達には生きづらさと引き換えに、強みもあることを忘れてはならない。あなたの、その人に寄り添うことができるその優しい気持ちは、ほかの誰にもできない唯一無二の素晴らしいものなんだと、そこに気付いて欲しい。

わたしのHSPという性質によって、誰かを救えるかもしれない。

わたしはこの自分の繊細な部分を受け入れるのに、25年かかった。繊細すぎて、傷つき、涙し、感情のふたは開きっぱなし、溢れる涙は止まらない、悲しみも苦しみも、辛さも悔しさも人一倍感じてきたのかもしれない。まさにその渦中にいるとき、本人は基本的に辛い。
感情がとめどなく濁流のように押し寄せてきて、石なんかでは堰き止められない。堰き止めようものなら、逆に激しさを増すのが感情というものなのだ。

でも自分と向き合い続けてきたからこそ、見えてくるものはあって、その傷ついた経験が、いつの日か誰かの支えとして活かせる時が来るとそう思えるようになってから、自分のHSPという一生ものの性質が愛おしくなった。この経験が誰かのためになる。自分の人生経験がこれから誰かを救えるのかもしれない。
それが本当ならば、わたしはHSPで良かったと思えるな、と気持ちがどんどん変化していった。繊細で、ガラスのようにバラバラに打ち砕かれて、泣いたとしても、涙が止まらなかったとしても、このHSPという性質であったことに感謝する機会がこれからきっとあるのだろう。

繊細で敏感だからこそ、日常の何気ないきらめき、さりげないしあわせにも気付くことができる。そしてそれに気づかない人へ、「ねえねえ、この世界ってこんなにもきれいなんだよ」と切り広げることもできる。ほんの少しの幸せをわたしたちはこの世界に波のように伝播させ、少しずつ、少しずつ、幸せにしていくことができるのだと思う。

わたしにとってのたからものは目で見えないけれど、生まれ持ったこのHSPという性質だ。この性質を持った自分へありがとうと言いたい。