私は今、大学で中国について学んでいる。中国は悠久の歴史を持つ国で、とても興味深く感じる。
しかし、そもそもなぜ私は数ある学問の中から、言語を選んだのだろうか。
幼いころの私は、漠然と「マルチリンガル」に憧れを持っていた
言葉に興味を持ったのは、小学生くらいの時のことだ。祖父はアメリカの大学院を出ていて、母は英語教師をしている。英語を習い始めた小学2年生の時から、漠然と「何か国語も話せるってかっこいい」とマルチリンガルに憧れを持っていた。
その後、私は英語の勉強を続け、2年前には留学という夢を果たした。私の言語への憧れは、きっと幼いころからの家庭環境にあるのだろう。
私が数ある言語の中から、中国語を選んだのは様々な偶然の積み重ねであり、また、必然でもあったように感じる。
私が大学で、言語を学ぼうと思ったのは、高校3年生の冬。当時のセンター試験(現在の共通テスト)が終わってからだった。それまでは、漠然と教育関係に進もうかと考えていたのだが、マルチリンガルへの憧れから、言語を専攻することに決めた。
選択は急であったが、私は自分の選択に全く後悔していない。もし、これが他人にすすめられて選んでいたら、後悔していたに違いない。しかし、自分で決めたことであったので、今の学習はとても楽しい。
数ある言語の中から中国語を選び、大学で中国について勉強している
私には、中国人の友達がいる。彼女とは小学校で出会った。中学、高校と年齢を重ねるにつれ、彼女のバックグラウンドをもっと知りたいと思うようになった。
また、父が中国に単身赴任していたこともあり、中国につながりを感じていた。そして私は、数ある言語の中から中国語を選び、大学で中国について勉強することを選んだのだ。
いざ学んでみると、中国は政治的にも歴史的にも複雑で、何度も学ぶことをあきらめそうになった。その時励ましてくれるのは、中国人の友人だった。彼女はいつも私を応援してくれる。
彼女は今、アメリカの大学に通っていて、着実にトリリンガルへの道へと進んでいる。励まされるたびに「彼女に負けていられない」と、いつも自分に言い聞かせている。
おととしの夏には、彼女と一緒に上海に行った。自分の語学力のなさを痛感したが、できていないということが分かっただけで、私の中では大きな進歩だった。
確かに、言語を学ぶことは大変で、何度もあきらめたくなることもある。しかし、そのたび彼女が励ましてくれ、また、自分の中の正義が「あきらめるな」と自分自身を奮い立たせてくれる。
大学生という時間を有意義に過ごし、もっとたくさんの経験をしたい
高校3年生、およそ18歳で将来を決めなければならないというのは、早すぎる決断ではないかと思う。大学に入り、様々な経験を経て、それから将来を決めても遅くはないのではないか。
現在は、リベラルアーツ教育が重視され、教養学部がいくつかの大学にでき始めた。しかし、ほとんどの学校では高校を卒業する際に、将来について決めておくように言われると思う。
私が学んでいる“言語”は、直接将来につながる可能性が高くない。だからこそ、こう思えるのだと思う。大学生というモラトリアムな時間を有意義に過ごし、もっとたくさんの経験をしたい。将来を決めるのはそのあとだ。
次は、どこへ行って何をしようか。今日も私は前に進み続ける。