小さいときから創作にまつわることが大好きだった。将来の夢は漫画家で、小学生まで毎日ずっと絵を描いていた。子供ながらに必死に練習したことは、実家で眠っている多くの自由帳が物語っている。
絵と小説が好きだった私。だけど、一番にはなれず褒められるのはいつも友達の方だった
小学校中学年からは小説を書き始めた。最初は絵本だった。元々小説を読むのが好きだったから、文章を書くことに抵抗はなかった。私の小中学校の生活は絵と小説とともにあり、私はクラスでは「絵を描ける子」だったし、「読書感想文で賞をいつももらう子」だった。だけど、一番にはなれなかった。
幼稚園に通っていた時のことを覚えている。毎日の自由時間でいつも友達と絵を描いていた。だけど、先生に褒められるのはいつも友達の方で私の絵は褒めてもらえなかった。自分でも、目に見えてわかる絵の下手さに悔しかったのを覚えている。
小学校と中学校は持ち上がりだったから、ずっと同じ顔ぶれだった。その中で私の描いたものは段々と選ばれなくなっていった。悪意のない「あの子の方が絵が上手」という友人の言葉を覚えている。中学生の時に親に言われた「絵を描いている暇なんてあったら勉強しなさい」という言葉に従うように、私は絵を描くことを辞めた。
それと反比例して私は小説を書き始めた。小説は絵と違って書いている時も親にバレなかった。それに、ちょうど携帯小説が流行し始めた時代で家のパソコンに触れさせてもらえる機会が増えた。私は週に一時間、パソコンを使う時間をもらった。その時間を使って、ノートに書き溜めた小説をネットに投稿していた。だけど、面白いと反応をもらったことは一度もなかった。
必死に書き上げた同人誌は売れなかった。私は一回折れて、小説も絵も書けなくなった
高校は進学校に進んだ。周りの生徒が単語帳を必死に読み込んでいる間、私は買い与えられたスマホで必死に小説を書いていた。何度も何度も賞に応募していた。だけど、そのことは誰にも言っていなかった。高校三年生になる時、進路相談で「小説家や漫画家じゃなければ何になってもいい」と親に言われた。高校生の私は小説家になりたかった。漫画家は中学生までの夢だった。でも、私が応募した作品は一度だって日の目を見たことはない。親の言うことは正しいと思った。
大学ではそれまでの創作から逃げるようにバイトと部活に明け暮れた。それでも諦めきれなくて、ネットにたまにアップをしていた。同人誌を作るという行為に没頭し始めたのはその頃だった。バイトと部活の合間を縫って必死に書き上げた本は、びっくりするほど売れなかった。だけど、本を作り続けた。未練だった。そして、私は一回折れた。
小説も、絵も書けなくなった。苦しかった。そんな時に出会ったのが動画編集だった。大学の授業で少し触れたそれに夢中になって、私は専攻をその道にした。そして、自分が作った動画もアップするようになっていった。小説や漫画とは違って専門的に学んでいる分、動画には自信があった。だけど、私の作品は評価されなかった。同時期に投稿し始めた何も映像について知らない子のフォロワーが増えていくのを見て、私は「ああ、またか」と思った。
私に創作の神様はいなかった。それでも創作に関わり続けていきたい
私は今、創作全般のなんでも屋さんをしている。これは、これまでの創作で得た知識を誰かに渡したかったからだ。自分に創作の才能がないんだとしても、創作に関わっていたかった。内定先は創作の「そ」の字も関係ない企業。学生時代に夢見たものには何一つ到達できていないけれど、現状が落としどころなんだと思っている。
私の人生は創作で埋め尽くされている。でも、私に創作の神様はいなかった。
それでも、才能がないなりに関わり続けていく。最後の悪あがきだ。