波乱万丈な高校生活。支えてくれた友人があるとき尋ねてきた花の名前

私の高校生活は、波乱万丈だった。
病気が発覚し、なかなか学校に行けない日が続いた。3年生のときには入院も経験することになり、楽しいはずの最後の学校行事も参加できずに終わってしまった。

それでも高校生活を3年間やってこれたのには、もちろん理由がある。私には、そんな高校生活を助けてくれた、ある友人がいた。その友人もまた、様々な事情を抱えている人で、「類は友を呼ぶ」とはまさにこのことではないかと思ったほどだ。

その彼女と話していたとき、ふと彼女がこう言った。
「アマドコロの花って知ってる?」と。
私は知らない、と返すと、この花は彼女にとって特別な意味を持っている花だと教えてくれた。

特別な存在になった彼女。私にぴったりな花言葉を教えてくれた

彼女と私は学校の同好会で出会った。合唱同好会に入っていた私たちは、特段仲がいいというわけではなく、反対に、仲が悪いということもなかった。しかし、私と彼女が特別な関係になったのには当然訳がある。

それは、保健室で過ごした仲間だ、ということだ。私は高校1年生のときに病気になり、教室に行けないことが増えてしまった。教室に入れない間は保健室にいさせてもらえた。彼女もまた、保健室の住人の一人だった。

そこで、共に悩みながら時間を過ごしていくうちに、彼女は私にとって特別な存在になっていた。そして、アマドコロの花を私に教えてくれたのだ。
アマドコロの花言葉は「人の痛みが分かる人」。この言葉は、私にぴったりだと言ってくれた。そして、そういう人に自分もなりたいと教えてくれた。

「私にはもったいない」というと、彼女は自分を大切にしてほしいと言った

私なんかに他人の痛みがわかるだろうか。そんな言葉は私にはもったいないのではないか。そんな不安を口にすると、彼女は自分自身の話をしてくれた。
「私は大切なことに正面から向き合えない。人生においての問題や課題を抱えきれない。そして、落として、忘れていく。私はそんな人間なのだ」と。

そして、私のような人は珍しく、自分を大切にしてほしい、と言ってくれた。
それから私は自分を大切にすることを考え始めた。自分を大切にするということは考え始めると難しく、私は今でもそれについて悩んでいる。

例えば、自分の手入れをしてみたり、アロマをたいてリラックスしてみたり。どれも自分からはあまりやらないことなので、初めは戸惑った。

自分を大切にすることで、いつか彼女の痛みも分かるようになりたい

しかし、それも慣れてくると「今日は自分を大切にしてあげられなかったかも」と気づくことができるようになった。彼女のおかげで私は、自分を磨くことを覚えた。

「他人の痛みがわかる人」
痛みは可視化できない。その痛みに気づける人は自分も大切にしている人なのではないだろうか。自分の痛みに気づけずに、どうやって他人の痛みがわかろうか。他人の痛みがわかってしまうがためにつらいことも、苦しいことも、大変なこともある。

それでも私は、他人の痛みに気づいてあげたい。分かり合うことは難しいけれど、分かち合うことはできる。痛みを分かち合って、楽にしてあげたい。
私は、彼女の痛みをわかってあげられているだろうか。いつか、その答えが出ますように。