食わず嫌いもよくないと、初めてSNSのアカウントを作ったのは20歳のとき。簡単に人とつながれる、なんと便利な世界になったものかと驚いた。
SNSを始め、ガキ大将でわんぱくだったAくんからメッセージがきた
そんな矢先、信じられない相手から連絡がきた。昔、私を後ろから飛び蹴りして、足跡を残した張本人だったのだ。日常的にいたずらはあったけれど、おふざけにしては度を越している。そのときの記憶が甦り、じわじわと怒りの感情が湧いてきた。それなのに、気付いたら勝手に指が返事をしていた。
ガキ大将でわんぱくだった男の子、Aくん。されたことを思い出すだけでも忌々しいのに、こういうとき好奇心で動いてしまうのが良くも悪くも私だ。「本当は好きだった」とか今更言われたらどうしようとか、しょうもないことを考えてみる。だけど、Aくんからきたメッセージは、私の想像とは全く違うものだった。
「元気? 実は兄ちゃんが、死んだんだ」
背中を蹴り飛ばされるより、もっと大きな衝撃だった。
Aくんは双子だった。二卵性双生児の兄であるBくんがいた。2人はいつも一緒で、とても仲が良かった。詳しいことは聞いていないけれど、突然の死だったようだ。やりとりをする中で、三つ子の魂百までとは限らないと思い直し、お墓参りに連れて行ってもらうことにした。
Aくんの双子の兄Bくんの死をを知り、お墓参りに行った
プラットホームに降り立つと、懐かしい駅舎に心が震える。県中心部から2時間もかからない郊外で、父の仕事の関係で1年だけ住んでいた。約10年ぶりに目にする景色が何も変わっていないことで、時が流れても変わらないものはあると少しほっとした。もちろん訪れた理由を除いて、だけれど。
Aくんが運転する車で、お墓までの山道をゆく。その間、私はかつてあった日々を辿っていた。亡くなったBくんは、隣のクラスだった。背が高く、同世代の男の子にしては少し大人びていたことをよく覚えている。とはいえやんちゃ盛りで、名前を耳にすることはよくあった。直接話す機会はほとんどなかったけれど、一度だけ言葉を交わしたことがある。
Aくんに用があってBくんが私のクラスにやってきたそのとき、教室の入り口近くにいた私に声がかかった。「Aくんは職員室に行ったよ」と口にしながら見上げたBくんの目に、不思議に透き通る美しい光を見た。あの瞳の印象は、今でも忘れることができない。
墓石を前にし、本当の意味で人の命には終わりがあるのだと知った。私のことなんて、Bくんが覚えているかどうかも分からない。それでも、尊い命の記憶を風化させない使命を私だって、背負ってもいいんじゃないかと思っている。とっておきのお菓子と花束をお供えし、もう二度と会えない彼に手を合わせた。
過去に囚われず、いつだって前をみて生きることの強さを教えてくれた
駅について車を降りるとき、その日初めてしっかりとAくんの横顔を捉えた。10年ぶりだった。あの頃少年だった彼は、大人の男性になっていた。でも、やっぱりBくんと似てなくて、双子なのにねと可笑しくなった。Bくんがここにいたら、幼かった自分たちを3人で笑い合うことができたのだろうか。
「どうして連絡をくれたの?」と助手席のドアを閉める前に私は聞いた。Aくんは少し考えるような顔をして、「なんでだろうね」と小さく答えた。
Aくんがいたから、辛いことに向き合う勇気をもつことができた。Bくんがいたから、失われた友情を新しい形で取り戻すことができた。ありがとう。あなたたちに出会えて本当によかった。
この巡り合わせが私にもたらしてくれたのは、過去に囚われずいつだって前をみて生きることの強さだった。