友達とはすぐ喧嘩をしてしまうような厄介な子だった。

いつも変わり映えしない面々に飽きてわざと集団から抜けていった過去もある。
そのクセ一人がつまらないと感じたらすぐに戻ってきたりを繰り返していたので、
周囲からは「取扱困難」と迷惑がられていたに違いない。

行ったり来たり、自由気まま。

今振り返ると、餌に飢えた野良猫のようにみえる子だった

今振り返ると、餌に飢えた野良猫のようにみえる。
使用してない教室の前で、一人たそがれたこともあった。当時オープンしたてのスカイツリーが東京を隔てる川を超えていろんな薄汚れた空気と一緒に、見えた記憶がある。
周りのビルよりも数倍高いのにちゃんと自分の足で立っている。それがなによりも立派にみえたのだった。

夏休み明け、登校したらクラスのグループが分裂している。
久しぶりに出勤したら自分の席がなくなっていた。みたいなよくあることが次々と起こった。
グループは会員制ではないことはみんな知っている。知っているけどなんとなく行きつけのお店に固定された「みんな」と会うことを楽しみであるように。そこでジワジワと自分たちにしか分かり得ない共通語で話す濃密な時間に快感を抱くのだと思う。
たった一度きりの学生生活が所属グループの方針にかかっているということを、当時の私は知っていたような、知らなかったような。1日、1日の時間が貴重であることを知っていたら、もっとうまく擬態ができていたのにと今はすこしだけ後悔がある。

私が『あの子』として思い浮かんだのは、紛れもなくC子だ。

私にないものをたくさん持ち、女子高校生活をほぼ一緒に過ごしたC子

夏休み明けにグループ分裂を起こしてしまうクラスにC子はいた。
華の女子高校生活を私はほぼC子と過ごすことになる。
彼女は私にはない明るさを持っていた。
私にはない優しさを持っていた。
私にはないものを持っていた。

C子が『あの子』になった経緯はそれだけではない。
ある年のバレンタインでは、デパ地下で500円する焼菓子セットを50個ほど買い、彼氏、友達以外に職場の人、行きつけの美容院のスタッフさんたち、そしてその日初めて会う、私の当時付き合っていた人にまで渡していた。
「買ったはいいけど、どうやって持っていこうか迷ったから、とりあえずコインロッカーに入れといた」
焼菓子で一杯に詰まった段ボール箱は最下段のロッカー2台を占有して、きっちり収まっている。
最初その状況を見た時は、呆れよりも笑いが込み上げて来て仕方なかった。
そもそも何故持って帰れないくらい買ってしまったんだ…。
美容院が二人同じなので、よくスタッフさんに「C子ちゃんすごいよね。色んな人にあげてたのかな?なかなかできないね」と言われたり、当時付き合っていた人も「いやー、すごい。太っ腹だね。今度いつ会うかわからないのにお礼できるかな」と褒めていた。
「お礼したかったから~」
彼女にワケを聞いたらそう返ってきた。
「初対面の人にも…?」と聞くと、「まあ、いいの!細かいことは!あげたかったの」と笑って主張された気がする。
こういった大胆なことはC子にしかできない。
そんなC子が好きだった。C子みたいにはなれないけど、C子のようにやってみたら楽しそうという憧れを越えた「好き」があったのかもしれない。

そばにいるとつい甘えてしまい、お互いに離れられない存在

C子は面倒見もよかった。

お母さんになったことはないのに「肝っ玉母さん」が似合うほど。
C子は友達一人ひとりに目を配っていた。親しみやすく常にオープンマインドな彼女は、クラスで浮いた存在の子の世話係を担任から任されていたこともあった。
彼女の周りにはいつも人がいた。友達であったり、時にはC子自身がいたくないと思う人たちであったり、良くも悪くも人との関係が絶えなかった。

私はというと人との交流に対して消極的で、違和感を抱いたら即断捨離するタイプだった。なので、C子が人とのトラブルに巻き込まれた時、なぜ断絶しないのか不思議だった。
「なんで(C子にとってよくないことをする人を)ブロックできないの?」と聞くと、C子は「できないよー……」と眉根を寄せて困り果てるのだった。

C子は優しい。それはみんな一様に思ってることだ。
でもそれは、時にC子自身を苦しめていた。自由気ままな私は当然C子に対しても「離れたい」と思ったことがあったし、実際離れた。少し距離を置きたくてブロックをしたら、C子から家に電話がかかってくるなんてことは頻繁にあった。
追いかけてくる。それを私は追いかけてきてくれると変に解釈をしてしまったせいで、今も私はC子から離れられないし、C子も私から離れられない。高校を卒業し数年経つ今も、月に1回はなんらかの連絡を取り合っている。
C子がいると甘えてしまう。私がC子の側にいすぎるとお互いにとってよくないのではないかと、大人の世界に一歩浸かってしまった今、思う。

大人になった今、お互いスカイツリーのようにちゃんと立っていこう

LINEという、いつでもお互いの存在を確認しあえるツールは、未熟な私たちにとって画期的だった。
そしてそれ故に、すぐに手頃な誰かを求めてしまう現代人の象徴をつくってしまってはいないか。とたまに思う。
C子は私にとって欠かせない『あの子』になってしまった。あの子がいたから高校時代は楽しかった。
でも、大人になっていくうちに高校時代の笑顔はもう取り戻せないことに気付いた。お互い、スカイツリーのようにちゃんと立っていこう。
ちゃんと、お互いがアルバムをゆっくり眺めるみたいに優しく全てを笑って許せる時がきますように。そういう時間が私たちには今とても、とても足りない。