私の辞書に“結婚”という2文字は存在しない。

昨年、大学時代、5本の指に入るくらい仲のよかった友達が結婚した。
彼女が結婚を決めた理由は至って単純。
「子供ができたから」

その報告を聞いた時、私は咄嗟に「おめでとう」と言った。
心から祝福した。
でも、「私も早く結婚したい」とは1ミリも思わなかった。

“貧困”と“小さな家庭内暴力”というワードが、常に巡っていた

私は母子家庭で育った。
母は23歳で結婚し、24歳で離婚、25歳で私を産んだ。
私が小さい頃、世間はまだ母子家庭に対して十分な“配慮”を持っていなかった。
母はとても大切に私を育ててくれたが、“貧困”の2文字と“小さな家庭内暴力”というパワーワードは、私の周りを常に巡っていた。

25年前、まだガラホも普及していなかった時代。
若い女性が1人で子供を育てることは、現実的に、楽ではなかった。
貧しさと、社会の冷たい目から受けるプレッシャーは、想像を絶するものだったと思う。
その矛先が、我が儘で融通の効かない、血を分けただけの未知の個体に向くのは、仕方が無い現象だったのだろう。

母の、振りかぶった腕を見て、私はいつも考えていた。
もし、うちにお父さんがいたとして。
その人が外でお金を稼いできたとして。
お母さんがお家で家事だけをしたとして。
この手が降りることは、あるのだろうか、と。

25年、生きて、考えてきた。
そして、思った。
答えは“ノー”だと。

例え母子家庭でなくとも、我が家の実情は変わらなかった筈だから

例えば、母が結婚生活を続けていたとして。
父親という存在が、家庭を構成する一部にいたとして。
この腕が振り上げられられることは、本当はななかったのだろうか。
たとえば、結婚の継続によって、“貧困”から抜け出すことはできたかもしれない。
けれど、きっと、母が抱える“子育て”というプレッシャーから解放されることはなかったと思う。

この2021年においても、“ワンオペ”という最も憎らしい課題は継続して、存在しているのだから。
これはあくまで持論だが、子育てにおいて、父親の存在が生活水準を上げる以上の価値を持つなどという話を、私は耳にしたことがない。
こと、“女児”のみの家庭においては。

私は小・中学校を共学で、高校・大学を女子校で過ごした。
私が小・中学生のころ、参観日に学校に来るのはほぼ100%“お母さん”だった。
PTAに参加するのも“お母さん”、三者面談に来るのも“お母さん”。
今思えば私が育った世代には“お父さん”が子供の学校行事に参加するという前提はなかったように思う。

また、友達に初めて生理がきて、泣いていた彼女を保健室に連れていった時、迎えにきたのは彼女の“お母さん”だった。
彼女の家は共働きだったが、保健室の先生が連絡をしたのは彼女の“お母さん”だった。

勿論、学校には母子家庭の我が家と同じように、片親の、父子家庭の子もいた。
しかし、その子供が女の子、というのは見たことも聞いたこともなかった。
母親が病死して、父子家庭、という子に大学生の時に出会ったが、未だに両親ともに健在で父親が女児の親権を持っているという家庭には出会ったことがない。

高校や大学で、家族の話をする時。母親の話題は毎日のように私達のトークに花を飾った。
一方で、父親の話題が出ることはほとんどなかった。
父親に関する話題で、盛り上がることはなかった。
父親のことを全く話さない子もいたので、私は未だに、高校の友達の何人に父親がいたのか知らない。

家族構成が父・母・姉・妹などの場合でも、旅行や食事、買い物に“女性陣だけで行った”という話をよく耳にする。
母親とは友達のような関係、でも、父親は悩みを相談をしない、できないという話も、よく聞く。
どちらにも共通する理由としてよく上がるのが、「意見が合わない」「共感してくれない」などだ。たしかに、母親が私の話を聞くとき、よく相槌を打ってくれる。

一方で、父親とは、それが難しいのではないだろうか。
昔、生物の先生が言っていた。
一説によると、人間の遺伝子は、自身が持つ遺伝子に近い遺伝子を持つ異性を、ある一定の年齢から避けようとする。
それは、血縁関係のあるものと誤って関係を持たないようにするための、防御本能なのだそうな。

そのため自然と、一緒に何かをし、悩みを打ち明け、慰めてもらい、独り立ちするための精神的なサポートを受ける機会が少なくなる。
思春期の、精神的にも家族のサポートが必要な年齢に父親を遠ざけ、母親に頼ることが多いからこそ、母親という存在が特別に感じるのではないだろうか。

そう考えると、例え両親がいたとしても、特に意識しなければ自然と“父親の役割は家庭を築き維持すること”、“子供を育成する役割は母親が担う”となってしまうのかもしれない。

だから私は、“結婚”という2文字を、私の辞書には含めない

だとすれば、やはり私にとって“結婚”とは、意味を持たないものなのだ。
例え我が家が母子家庭でなくとも。
主に母親が子育てを行わざるを得ないのでは、我が家の実情は、変わらなかった筈だから。

そして。
25年間、その状況で生きてきた私にとって、今更男性が家庭にいる状態が、想像できない。
いや、“受け入れられない”のだ。

男の人が、家庭にいる状況を受け入れてしまったら。
自分にもっと、違う人生があったんじゃないか。
希望した大学への進学を諦める必要はなかったのではないか。
そんなことを、思ってしまうんじゃないか。

そう考えると、私には、それを拒絶する以外の選択肢はないのだ。
だから私は、“結婚”という2文字を、私の辞書には含めない。