四半世紀と少しを生きてきて、だんだん怖いものが増えてきた気がしている。
おばけとか、虫とかじゃなく、目に見えないなにか。
小さな失敗や、他人に言われた些細なことが胸に溜まり、刺さる
昔は怖いものなしで、なんにでも挑戦できたし、どんなことにも果敢に立ち向かっていけた。一言でいうと、強かった。
ところが、歳を重ねるにつれて時々、弱さが顔を出すようになった。
井の中の蛙が大海を知り、脆くなった。
ずっと、芯の強い花を育ててきた。
だけど、私が気がつかない間に、心の花の生育にちょっと影響が出たみたい。
小さな失敗や、他人から言われた些細な言動が、胸に溜まり、刺さっていく。
元々の、気にしがちな性格や神経質さも相まって、どんどん深みにはまっていく。
突然ごはんが食べられなくなった。
栄養が摂れないから、体のあちこちが、どんどん悲鳴をあげていく。
それは思考にも及んで、何事にもネガティブになった。
本当に本当に、苦しい毎日だった。
先生の言葉は、心の花にも、水のように肥料のように、染み込んでいく
早く、負のループから抜け出したい。
昔からのかかりつけ医である、内科の先生に診てもらうことにした。
穏やかな顔をした、恰幅のよい先生の前でひと通り、今の私の症状と気持ちを聞いてもらう。
うまく言えない。支離滅裂になりながら、ゆっくりとしか話せない。
自分の思っていることが、言葉になって体から出ると、「この状況が本当なんだ」って自分で肯定しているようで。
先生は、頷きながら、カルテにペンを走らせる。
次の言葉を探すために、ふっと私が息を吸ったところで、先生は体をこちらに向けて、にっこりと言った。
「人生はね、一直線なんだよ」
きょとんとする私に、「人生を糸に例えるんだ」と先生は続けた。
「一部を切り取ってみると、山あり谷あり、波瀾万丈かもしれない。けれど、遠くから人生を見てごらん。それは一直線にしか見えないんだよ」
私の中に、その言葉が広がっていく。
心の花にも、水のように、肥料のように、染み込んでいく。
毎日なにかに追われて、遠くに光があることを忘れていた
大きくなるにつれて、考えること、やることが多くなった。責任も増えていった。
いつしか私は、狭い視野で、目先のことしか見れなくなっていたのかもしれない。
昨日の会議、今日のミス、来週の締め切り。
近い予定ももちろん重要だけど、一年後、十年後だって、私にとっては大切だ。
後から振り返ったら、どうしてあの時、あんなに辛かったんだろうって思うような出来事のはずだ。
もっと、未来に目を向けて歩いたら、日々の小さなことにくよくよせずに済むだろう。
輝いているだろう未来を、自分の手で潰したくない。
学生だった頃は、夢に向かって一生懸命努力していた。
どんな苦労もいとわなかった。
けれど、大学を卒業したら、そのままなんとなく就職して、夢も中途半端なまま、毎日なにかに追われて……。
遠くに、光があることを忘れていた。
一直線の人生。
これから先も、絡まったり、切れそうになったり、ぐにゃぐにゃになったり。
糸の色だって、鮮やかだったり、暗かったり。
だけど、それも私だけの人生。
気持ちも道もまっすぐな、私だけの人生。
視力も思考も近眼な私の合言葉として、心に大切に留めている。