記憶の中のボストンでの留学生活は、背景に雨が降っていることが多い。
到着した日からそうだった。
機材トラブルで時間が大幅にずれ、飛行機が空港に着いたのは深夜十二時を過ぎた頃。
送迎サービスの運転手と無事に落ち合い、空港から一歩外に出ると、土砂降りの雨が私を待ち構えていた。

素早くトランクにスーツケースを積んでもらい、助手席に乗り込む。
高速道路を走る車に揺られながら眺めたボストンの夜景に、水滴がフィルターのように被さり光を反射させていて、いつか観た映画のワンシーンのようだった。
遂に留学生活が始まるという事実を、長旅で疲れた頭の隅でぼんやりと噛み締めながら、ホームステイ先までの時間を過ごした。

生理痛で気分がすぐれず学校をさぼった。部屋の外からは雨音が聞こえてきた

そんな到着日から二ヶ月ほど経過したある日、私は学校をさぼった。生理痛で気分がすぐれず、体を引きずってまで学校に行く気力がなかったから。

アメリカの家では地下に部屋が建てられていることが珍しくなく、当時私に割り当てられた部屋も地下にあった。二段ベットと小さい机が備え付けられた、シンプルで狭い部屋。前に住んでいた日本人留学生のお土産である時計が飾られている。部屋の上方には小窓が付いていて、そこから外を覗くことができる。

ベットの上段で毛布をかぶって寝転ぶと、窓の外から雨音が聞こえてきた。同じ水分のはずなのに、日本で聞くのとずいぶん違く聞こえるそれら。こんな雨の中、体力を削り学校まで辿り着いた所で勉強に集中できないしと、自分に言い訳をする。
それでも、「友達が社会人として立派に働いている中、アメリカへ留学して、授業をさぼっている」自分に嫌気がさした。

体調が悪いくらいで休んでいいの?ふつふつと湧き上がる現状に対しての苛立ちと悲しみ

体調が悪いくらいで休んでいいの?授業料だってかかってるのに?
少しでも気分を晴らしたくて、当時付き合っていた日本にいる彼氏に電話を掛けるが、繋がらない。まだ起きているはずなのになんで?余計な不安が募る。こうなるともう、毛布にくるまって大人しく寝るしかない。
だけど、早く寝ようと思えば思うほど、現在の状況に対しての苛立ちと悲しみがふつふつと湧き上がってくる。
知り合いは徐々に増え始めてきたけれど、仲が良いと呼べる友達はボストンに一人もいない。心細い。日本の家族や友達と話そうと思っても、時差のため頻繁には電話出来ない。
お金がない。就労ビザじゃないから働けない。

最寄り駅の治安があまり良くなく、薬物中毒者がうろついているときがある。駅構内のトイレを借りると、便座がなかった。鎖でぐるぐる巻きになったトイレットペーパーなんて初めて見た。

アジア人の女性ってだけで舐められてる気がする。クラスメイトのブラジル人が、タイ人のクラスメイトの発音を馬鹿にしているのを聞いてしまった。同じ熟練度の英語を話しているのに、なんでそんなに偉そうなの?白人だから?イライラする。
そこまで考えて、「あ、でも私はこの為に、日本からはるばるボストンまで来たんだった」と気付いた。

今の感情すべてが、今後の人生にとって必要になる。雨音の中、大切なことに気づいた

日本で就職していたら、絶対に体験できなかったこと。それは、自身が「外国人」になること。今感じている感情すべてが、今後の人生にとって必要になるということ。
その答えに辿り着いた後、耐え難い眠気が襲ってきて、私はゆっくり目を閉じた。

それから五年以上経った今も、ふと雨の日に思い出す。
一人で心細くて苛立って、でも大切なことに気付いた、あの朝のボストンの地下室。
生理痛と寂しさと苛立ちに、毛布と共に包まり雨の音を聞いていた自分。

周りとは違う決断をした、二十歳そこそこの生意気な小娘を、今となっては誇りに思う。