私は自分の名前が好きではなかった。小学生のときに同級生や上級生に名前をからかわれた経験から、私は自分の名前をずっと憎んでいた。
「この名前じゃなかったら、こんなに苦しむこともなかったはずなのに」と。

「どうしてこの名前にしたのか」。名前で呼ばれることがあまり好きではなくなった私

それ以来、私は名前で呼ばれることがあまり好きではなくなった。ニックネームで呼ばれることが多かったので、まだ何とかやっていけたが、それでも自分の名前が嫌いだった。

そして、嫌いの度合いは年齢とともに増していった。中学生のときには親に「どうしてこの名前にしたのか」と詰め寄ったこともある。今考えれば、親は相当ショックだったに違いない。しかし、そんなことを考える余裕もないくらい、そのときの私は追い込まれていたのだ。そんな私が自分の名前を受け入れ始めたのはおよそ3年前、大学に入学し、留学をしてからだった。

英語と中国語でつけてもらったニックネーム。自分の名前が少し誇らしくなった

留学をしたのは大学1年の夏だった。ホストマザーに英語の名前、英語でのニックネームを付けてもらったのだ。日本語の名前が英語圏の人には発音しにくかったので、「ニックネームはないか」と聞かれたのだ。そこで私は「ここの国の人たちは私のことを何と呼ぶ?」と聞いてみた。日本語の名前をローマ字で書いて、それを現地の読み方にした。少しアレンジしてできた私の英語での名前は、響きがとてもかわいかった。私は自分の名前が少し誇らしくなった。

私は大学で中国語を専攻している。英語でのニックネームのつけ方が気に入った私は、ほかの国のニックネームのつけ方にも興味を持った。そして、中国語の先生に、中国語の名前も付けてもらうことにした。

私のペンネームMengmengは、中国語の私の名前だ。漢字にすると萌萌。日本語でのイメージはもえちゃんというところだ。これで、日本語、英語、中国語、3か国語で自分の名前を持った私だが、どの国の言葉でも響きがかわいい。そして呼びやすい。私はもう一段、自分の名前が誇らしくなった。

名前に誇りを持てるようになって感じた両親への感謝の思い。胸を張って生きていきたい

本当の私の名前は珍しい。漢字で書くと、大抵の人は読むことができない。これもまた、私が自分の名前が嫌いな理由のひとつだった。
しかし、ある人が言ってくれた言葉で私の考えは変わった。
「めずらしい文字って唯一のものだからいいよね」

それから私は自分の名前に誇りを持てるようになった。私の名前は私のためだけに作られた、特別なものなのだ。そう思った。
そう考えたら、両親への感謝の思いも沸き起こってきた。私が生まれたときに、私のためだけに考えに考えてつけてくれたであろう名前。心がとてもあたたかくなった。それまで抱えていた親への嫌悪感は徐々になくなっていき、今はほとんどない。さらに、申し訳なかったとさえ思うようになった。

これからも、私の名前をからかったり、馬鹿にしたりする人がいるかもしれない。それでも私は自分の名前への尊敬はなくさないだろう。
なぜなら、私は私の名前への思いや優れた点を知っているからだ。むしろ、私にしかわからないものかもしれない。私はそれを大切にしたい。そして、胸を張って生きていきたい。私の名前はこれなのだ、と。