人に恵まれてきた私。出会いを繰り返す中で「特別な」あの子を思い出す

私のこれまでの人生、必要だった出会いはたくさんある。出会えてよかった人は数えきれない。いつもいつも、人に救われる。これといった強みも特技も才能もないけれど、人に恵まれる能力に関しては長けていると思う。いい人と出会う能力パラメータなるものがあれば、私のそれは振り切れていると思う。

そんな最高の出会いの繰り返し人生の中で、特別なあの子と言って思いつくのは、シュウになる。知り合ってからもう10年以上経つけど、今でも私の人生の指針になっている。それくらい大きな存在。
でも、それ以上に、もう二度と会うことは出来ないということが特別な理由なのかもしれない。

初めて訪れた家で見たのは彼女の寝顔。汗と涙でぐちゃぐちゃになった

小学生時代、同じクラブチームに所属していた元チームメイト。特別仲がいいわけでも悪いわけでもなかった。同じチームの子。7番の子。チームで1番上手い子。それ以上でもそれ以下でもなかった。
特別な存在なんかではなかった。けどなんか好きだった。なんか引き寄せられた。それは多分みんなそうだったのだと思う。シュウの周りにはいつも人がいた。大人も子供も自然とみんなが集まった。いつも人の中心にいて、人と人とを繋いでいるような人だった。

中学に上がって、お互い違うチームに所属した。そしてあの夏の日、シュウはいなくなった。

初めてシュウの家に行った。初めてシュウの寝顔を見た。そこにはたくさんの人がいて、みんな泣いていた。大人があんなに泣くのを初めて見た。いつも元気なあの子が泣くのも、いつもふざけてるあの子が泣くのも初めて見た。私も泣いた。わけも分からずただただ泣いた。炎天下の中、汗と涙で皆ぐちゃぐちゃだった。

たくさん泣いた後、少し冷静になってから、たった1人の、10年ちょっとしか生きていない子供のために、あれだけの人が集まるのか、あれだけの人が泣くのか、と感心した。この表現が正しいのかは分からないけど、豪華だった。私がいなくなる時もこれくらい多くの人に悲しんでもらえるような人生を歩もう、と強く思った。

10年経った今でも愛されている優しいあの子みたいに私はなりたい

あれから10年。あの日をきっかけにできた繋がりの中には、10年経った今も切れていないものもある。年に1度会うくらいだけど、みんなシュウという灯りのものに集っては、近況報告や思い出話で盛り上がる。全く関係のないところで思わぬ人と繋がることも未だにある。本当に驚かされる。いなくなっても尚、人と人とを繋いでいるシュウはやっぱり凄い。まだ当分敵いそうにない。

私は今も、たくさんの人から愛された、愛され続けているシュウのようなかっこよくて優しくて魅力的な人間になろうともがいている。追いつくにはなかなか長い道のりな気もするけど、でも私はまだ生きている。シュウの時は止まったままだけど、私の時は進み続けている。だからきっとこの先もずっと、いつか再会するその時まで、もがきつづけたい。

私と出会ってくれてありがとう、シュウ。