中学生の私は、自分の容姿が嫌いで嫌いで仕方がなかった。自分に自信がなくて、いつも下を向いて歩いていた。

なぜか通っていた中学校は、容姿が整った子が平均よりもかなりたくさんいる場所だった。4人のグループワークをしていた時に、他の3人はスカウトされた経験があったらしく、「スカウトされたことなど一度もない」と私が言うと、驚かれてしまったくらいだ。

中学生の私はぶさいくで、おしゃれをする資格がないと思っていた

当時はぽってり一重で、お世辞にも細いとはいえない私は、スクールカーストの底辺だった。中学生の男の子というのは、まさにお年頃だから「~組の〇〇ちゃんがかわいい」「〇〇ちゃんは100点満点中100点」などという話を常にしていた。

もちろん、私はそういった類の話題に上がる可能性などゼロだった。だから、スクールカーストのてっぺんにいる、パッチリ二重で細い彼女らに少しでも近づこうとダイエットやアイプチ、二重のマッサージをした。

働いていた母が、朝忙しい中作ってくれたお弁当も全部食べず残したことも。親に向かって、「パパとママのせいで、この容姿に生まれてしまった。私がハーフだったらかわいく生まれて、モテてたのに」などと、今考えればとてつもなく失礼なことを言い放ったりもしたっけ。ぶさいくな自分はおしゃれをする資格すらないと感じて、かわいい服やアイテムは持たないようにもしていた。

留学や旅行の経験が「自分の容姿」に対する評価を180度変えた

こんな卑屈な私を変えてくれたのは、大学に入学してから参加した欧米への短期留学や旅行だった。

街を歩けば、ぽっちゃりしている女性もピチッとしたスパッツを穿いて、メイクをしアクセサリーを身につけて、堂々と歩いていた。皆、自分の体型をうまく演出するために思い思いの服装をしていた。出会った人の中には「どうしてアジア人は目を大きくしようとするの。アジア人の細い目がミステリアスで好きだ」とまで言ってくれる人もいた。

こんな経験が、私の自分の容姿に対する評価を180度変えてくれたのだ。だから、私は変わった。

もちろん、今でも目は小さいままだし、二重にはなったものの皆が憧れる女優のようなパッチリ二重ではないし、平均よりは骨太で、望む容姿で生まれ変われるとしたら、今の自分の容姿は選ばないだろう。

でも、私はこの身体で20数年間生きてきたから、愛着はある。だから、自分が今持ち合わせているもので、自分を最大限にきれいに見せたい。

自分を貶めないで、自分が「生まれ持ってきたもの」を大切にしてね

メイクやファッションを積極的に楽しむようになった。以前は、自分の太い脚を見せるなんてとんでもないと、穿くのを避けていたスキニージーンズだって、脚がよりスッキリ見えるから、今はむしろ好んで穿く。

肌の露出や体型が出る服も、中学生の頃は絶対に嫌で、夏でも長袖で体型が分からない大きめの服を着ていたけれど、今は女性っぽさを出すために肌も適度に出すし、曲線が出る服も着ている。

今の私は、中学生の私へこう言いたい。一重だっていいじゃない、骨太だっていいじゃない。あなたの両親がそう生んでくれたんだもの。

あなたをぶさいくだと言ってくる男の子がいる? そんな人の言うこと、放っておきなさい。自分を貶めないで、自分が生まれ持ってきたものを大切にしてね。