わたしはずっと、舞台に立っていたい。
そうしてずっと、誰かに見られていたい。
美しいところも、汚いところも。
目を背けないでほしい、わたしのすべてから。

根拠のない自信に溢れた幼い頃、わたしはわたしの人生の主役だった

昔から人前に立つのが好きだった。
周りの人より少しだけ、自分は素敵な存在だと思っていた。
両親に甘やかされて育ったから?
わからない、ただ自分の価値に何も疑問を覚えなかったし、自分はいつかすごい人間になるんだと、心から信じていた。

神社に行っても教会に行っても、世界平和を願っていた。
神様はわたしの願いを聞いてくれると思っていたのだ。わたしの願い「だから」聞いてくれるって。そんな根拠のない自信に溢れていた幼い頃、わたしはわたしの人生の主役だった。

中学で演劇部に所属したわたしは、もちろん主役以外の役もたくさん演じた。女の子しかいない学校だったから、男にも、女にも、おじさんにも、ときには天使にも悪魔にもなった。

誰かに認められたいと思うわたし自身が、役と一緒に舞台に乗っていた

演じることは好きだった。
自分以外の誰かの人生を、少しだけ味わえる気がしたから。
舞台の上で人を殺したり、死んだり、恋をしたり。
ただ、どんな役を演じていても、わたしはわたしだった。
わたしの中の男、わたしの中の女、わたしの中の天使と悪魔。
わたしの一部を引き出して、膨張させて、他の自分を飲み込んだ。
男のふりをしていても、悪魔のふりをしていても、誰かに見られたいと、誰かに認められたいと思うわたし自身が、役と一緒に舞台に乗っていた。
じりじりと体を灼くようなスポットライトも、鼓膜を揺らすほどの音響も、舞台上の全てが心地よかった。
観客の視線を集めて、舞台から客席を見下ろすとき、ひとりひとりの顔がはっきりと見えた。

見てる、見てる、みんなわたしを見てる!

向けられる視線もビデオカメラも、わたしを高揚させる材料だった。
これがわたしの天職、そんなことを思った。

演じることは好きだった。
自分以外の誰かの皮をかぶって、自分の心の内を見せることができたから。
自分じゃない誰かのふりをしながら、自分の心の醜さも、脆さも、認めてもらえる気がしたから。

いつでも何かを演じているうちに、「わたし」がわからなくなった

本当はずっと、ただのわたしを見てほしかった。誰の皮も被らない生のわたしを、ありのままで認めてほしかった。

舞台を降りても、わたしは「わたし」を演じるようになった。
優しくて可愛らしくて、でも芯が強くて。
嫌なことは嫌と言えて、人と少し違うものが好きで。
そんな自分でいたい、そんな人だと思われたい。
誰かそんなわたしに、気づいていたかもしれない。誰もそんなわたしを、気にも留めていなかったかもしれない。

中学と高校と6年間、いつでも何かを演じているうちに、わたしはわたしがわからなくなった。
わたしの「ありのまま」を認めてくれる家族、友人。その「ありのまま」は、わたしがそう見せたいと願った「ありのまま」なのに。
本当のわたしは、本当のわたしは…
本当のわたしなんて、いったいどこにいるのだろうか。

この世はひとつの大きな舞台。わたしたちは等しく役者なのだ

好きなものと嫌いなものを、まっすぐな線で分けることなんてできないように、どこからが本当のわたしで、どこからが演じてきたわたしなのか、境界線はどんどん滲んでぼやけて、溶けて混ざり合ってわからなくなっていく。

なりたいわたしを演じるわたしも、確かにわたしの一部なんだ。
そのことにもっと自信を持てたとき、わたしはようやく、ただのわたしになれるのだろう。

それまでは演じ続けよう。
この世はひとつの大きな舞台で、わたしたちは皆等しく役者で、動き出した舞台はいつだって止まらないのだ。

ショーマストゴーオン。
シェイクスピアもこんな気持ちだったのかな。