物心ついた時には“どうすれば人に好かれるのか”をいつも考えていた。気付いたら息をするように自然に意識していた。
私の存在理由は、「存在しても良いんだよ」と、人に認められること。
認められるには、求められる自分でいなければいけない。人に好かれるには、理想の自分でいなけらばいけない。

求め続ける理想。私は「優秀な人生を歩くいい子」になりたかった

歳を重ねて新しいコミュニティに入る度、色々な理想の自分を創造し、選び取り、演じた。
一番最初に作り出された理想像と、今の理想像では幾分変わったと思う。
だけど、大人になった今でも頭の中にこびりつく理想像があって、それは「優秀な人生を歩く良い子な自分」。

小さい頃から成績が良くて、地元で評判の進学校に合格して、誰もが分かる有名大学に進んで、良い会社に就職して……。
親に繰り返し教えられた自分の将来。元々勉強は好きだったし、テストで良い順位を取るのも素直に嬉しかった。自分は道を踏み外さずきちんと歩ける人間だと、信じて疑わなかった。

でも、そこまで頭が良いわけでもなく、努力し続けられる才能もなかったと、だんだん分かってくる。地頭が良い人も要領が良い人も世の中にはたくさんいる。高校、大学と進む中で嫌というほど痛感した。私はただの井の中の蛙だったのだ。小さな村の田舎娘は、広い海の中で泳ぎ方も分からず溺れてしまう。

親に与えられた道から外れるのは怖いけど、本当に自分が歩きたい道って?

海にゆらゆら揺られながら、自分が本当に歩きたい道を夢想した。
テレビでキラキラと歌って踊るアイドル、豊かな世界を見せてくれる小説家、華やかな都会で素敵な服を身に纏うアパレル店員。
憧れを抱いている人はポンポン思いついたのに、そのどれもに自分を重ねられない。
もう「自慢の娘」の道を歩ける能力も自信もないくせに、その道を外れるのが恐ろしかったのだ。

それはまるで呪いだった。きっと歩ける道はたくさんあるはずなのに、視界は真っ暗で、親に与えられた一本の道だけが白く浮かび上がっている。
結局苦しくて苦しくて、海の底に沈む寸前で大学を辞めた。そのまま親や地元の人の目に耐えられず、実家を出た。

そこからは何もかも嫌になってしまって、ただただボーッと時間をやり過ごす日々。

世間的に見てダメな大人。それでも、今が一番呼吸がしやすい

一週間部屋に干されっぱなしの洗濯物。洗って齧るだけのきゅうり。埃の見える洗面台。休日は一歩も外に出ない。
世間的にはダメな大人だ。自分でもひどい生活をしていると思う。

でも今までの人生で、今が一番呼吸がしやすい。ぬるま湯の心地良さに勘違いしているだけだと言われればそれまでだ。それでも、今は舗装された道などない広大な大地を、私のままで生きている気がするのだ。溺れて沈みかけてやっと踏みしめられた大地。

一人で暮らして数年経った今でも、心のザラザラは消えなくて、時々海の底から伸びる手に足を掬われそうになる。
きっとその伸びた手は、今の自分を私がちゃんと「存在しても良いんだよ」と認めてあげられる日が来れば消えてくれるだろうし、そんな日はいつまでも来なくて、この先もその手をかわしながら生きないといけないのかもしれない。

今でも人に対面する時は多少演じてしまうことはあるけれど、それは選び抜かれた理想像ではなく、私自身に近付いているような気がする。
今はただ、この大地を鼻歌でも歌いながらのんびり歩けるようになること、それが私の幸せで、生きる意味になっている。