「君と付き合いたい。真剣なんだ」
2軒目に行った新宿のバーで、確かにその人は私にそう言った。私の元上司で、10歳年上の男性だった。そして、まだ2歳と5歳の子どもがいる既婚者だ。
その人とは私が20代前半の頃に出会った。その人の部署に私が異動となり、自分にとって憧れの仕事に就けたタイミングだった。知識が豊富で人当たりの良いその人を尊敬していたし、怒られて泣いたこともあった。何も知らない私を導いてくれた人だったと思う。
働いて数年経った頃、その人は別の会社に転職した。
会社から離れて、私を1人にしてしまったという罪悪感や、親心のような心配の気持ちがあったのだと思う。2ヶ月に1度くらいのペースで連絡をくれて、近況を聞いてくれた。そして激務に疲弊する私を気分転換にとご飯に誘ってくれた。
転職を考え始めた頃でもあったので、尊敬する元上司に相談したいと思い、何度か会う機会をいただいた。
3回目の転職相談時に告白。妻子ある男性に「付き合いたい」と言われる悲しさ
今思えば、違和感はあった。
「言いたいことがある」「言おうかどうしようかな」といった、緊張しているような、私の反応を楽しむような言葉。ただ、その人が私との関係を男女のものに変えようとしているなんて、考えもしなかった。それほどに信頼していたんだと思う。
新宿でご飯を食べた帰りに、バーに寄りたいと誘われた。まだ時間も早かったので、承諾してしまった自分が悪かったのだろうか。隣で数杯飲んだ後、「付き合ってほしい」と伝えられた。
信じられないというか、理解できないというか、何と答えればいいのか全くわからず、濁した。答え方によっては関係が変わってしまうんだろうか。「仕事で導いてくれた上司」ではなくなってしまうのか。
勿論、付き合うという選択肢は自分にはなかった。何よりも相手は結婚しているのだ。それは事を荒げることなく、しっかりと断る理由になるだろう。そう思った。
止まらない好きな理由やどうなりたいかを告げられた後、「でも奥さんいらっしゃいますよね?」とはっきりと言った。これできっと、我に返ってくれるのでは。
しかしその人は全く怯むことなく、「今は僕と君の話をしている」という旨の言葉を放った。「好きな人には好きと伝えたい、それに結婚している事は関係ない。人生に後悔したくない」と、自信たっぷりに答えるその人の言葉に、まるで自分がおかしいとでも言われているように感じた。
新宿からの帰り道、会社で一緒に働いていた時のこと、優しくしてくれたことを思い出すと、涙が出た。
既婚者で、父親が、10歳年下の女の子に恋をする。そういう人が、現実にいる
もし私が誰かと結婚して、子どもが産まれて、旦那が10歳年下の女の子に恋をしたら。また、もしこの2人の子どもがいる上司が、私の父親だったら。
そう考えるとやり切れないような気持ちで一杯だった。
そういう人が、普通に、現実にいるんだ。そして妻子ある身で、未婚の20代女性と付き合いが叶う可能性があると思っているんだ。
その人に言わせると、身近な妻子持ちの既婚者の人にも彼女がいるという。私に告白してきた背景も、そういった周りの人達から影響を受けているように感じた。
この出来事は、私に色々な感情を抱かせた。
尊敬している上司の優しさは師弟関係からだと思っていたが、それが恋愛感情に発展してしまったということは、一緒に働いていた時から性的な目で見られていた可能性があったのではないか。そして、自分の未来の旦那にもこういったことが起きるのではないか。
その人は、自分の純粋な恋心を伝えたいという気持ちだったかもしれない。自分が「既婚者」「子どもの父親」だということと、相手が「未婚女性」だということへの配慮や葛藤が、少しも見えなかった。
20代半ばで結婚への憧れを抱いていた私に、世の中への不信感を与えるには十分な出来事だった。
不倫の誘いを受けて、傷つく人がいる事を知ってほしい
男女限らずだが、既婚者だとしてもお付き合いする相手を作りたい、作れると思っている人が当たり前にいる。自分より10歳も若い年齢の子と相応に付き合える、もしくはお金があるから色んな世界を見せられると思っている人がいる。
芸能界ではこういった不倫が発覚すれば大きくバッシングされているが、「不倫は普通のこと」と考える人は世の中にまだまだいる。不倫と自覚しておらず、「これは恋だ、結婚とは別物だ」と考える人もいるだろう。
勿論、人はいつ恋に落ちるかわからないし、それは責めることはできない。ただ、自分の子どものことを考えなかったのだろうか。好きだと言われるよりも、奥さんや子どもとの話をされる方が、私はよほど嬉しかった。
想いを伝えることが、自分の立場によっては相手を傷付けることになる。形は違っても、きっと同じように傷付いたり、人を信じられなくなったりした人もいると思う。
理想論かもしれないが、「不倫は普通のこと」という風潮がなくなり、結婚や家庭を持つということがもっと温かいものであればいいと、思う。