あたりはすっかり暗くなり、ビルの灯がひとつふたつと消えていく。
半分ほどに減った灯のひとつに自身の居場所が含まれているのなら、絶対にこのブラインダーを閉じてはいけない。私はそんなことを考えていた。

「パパ活という形で会いませんか?」上司から打ち明けられた私の中を恐怖が支配した

モニターに映し出された「パパ活料金比較」の見出し。
机を隔てて右側に座る上司が、やや高揚した様子でプランを説明していく。
その内容はほとんど頭に入ってこなかった。

「ずっと素敵な人だと思っていた。立場と年齢もあるので、パパ活という形で会いませんか?」と、上司からよこしまな気持ちを打ち明けられたとき、失望や嫌悪感や怒りが通り抜けるよりも先に、恐怖が私の中を支配した。
関係を持つことを前提とする飛躍した発想は、それを一気に助長させる。

目の前の出来事は果たして現実なのだろうか。
私の知っているこの人は、誰に対しても家族のように接する優しい人だったはずなのに。
混乱する感情とは裏腹に、頭の中はかつて経験したことがないほど冷静だった。

まずはこの閉鎖空間から脱出する必要があり、そのためにもこの人を逆上させてはいけない。丁重なお断り文を練りながら、外に出るまでの段取りを逆算し、その裏で上司を筆頭に先輩方と過ごした日々を思い出した。あの時モニターの文字が滲んで見えたのは、きっと気のせいではなかった。

上司から届く嫌がらせのメッセージ。こんなにも惨めに感じたことはなかった

結果として、身体的被害はなかったのだから一応切り抜けたと言えるのかもしれない。
その代わりに、嫌がらせのメッセージが毎日のように届いた。
「面倒をみてもらったことに対する感謝はないのか」
「女のくせに、結婚くらいしかすることないだろ」
知らない人同然になり果てた上司の言葉を目にする度、失望と嫌悪感が胸いっぱいに広がっていく。その矛先が上司なのか、私自身なのかわからない。女として生まれたことをこんなにも惨めに感じたことはなかった。

感情のサンドバックにされる屈辱に耐えながら、それでも私の中に溢れ出す怒りは外に出すことも許されない。どうしたら良いのかわからなくて、ヒステリックに泣き叫んでは同居する両親を困らせた。
裁判沙汰にすることも考えたが、実害がない以上、法は守ってくれない。
権力と財力を併せ持つ存在と戦うのに、私という身分の人間は分が悪すぎた。

自分の中にある常識を取り払い、相手の価値観を理解しようとする「思いやり」を

一連の出来事が過去になった頃、会社とは無縁のごく一部の友人に打ち明けたことがある。
男性は大笑いし、女性は寄り添うように同情してくれた。
性でくくりたくはないけれど、男女でこんなにも捉え方が違うのかと驚いた。

同じ性別であるということは謎の結束力を生み、もうひとつの性を別種と捉えてその違いについて向き合うことをしない。性という壁の厚さ、この国に根深く残る思想や価値観の偏りを見せつけられたような気がした。

私が思い描く景色は、誰もがシンプルに「自分を生きる」社会だ。
誰もが持つ自分だけの色を理解し、どう生かしていくのか、人と人はそんなことを語り合えるチームでありたい。結婚は「普通」ではなく「オプション」で、子育ては国全体の共同作業でいいとすら思う。他人とこの世で共存する意味は、きっと補填し合うことだ。

文系なのか理系なのか、得意な家事は料理か洗濯か、性の差なんてやつはその程度のものであってほしい。
自分の中にある常識を取り払い、相手の価値観を理解しようとする「思いやり」を、「性別」という枠にも当てはめていくことができたなら、私達の見える景色は変わっていくのかもしれない。

まずは一歩、私から。