「男性の方、お願いします!」
葬儀場で棺を運ぶために呼ばれる私の親戚。男性は全員が60歳を超えていた。中には足の悪い人もいた。20代の私は父の荷物を持つだけ。棺のそばに駆け寄ることができなかった。
力のある方、お手伝いをしてくれる方など、別の言い方をしてもらえたら、私は気兼ねなく駆けつけられた。でも、男性という言葉によって女性である私は駆けつけることができなくなった。本当は駆けつけたかった。もどかしかった。悔しかった。異質な目で見られても行くべきだったかもしれないと、後悔した。

女性だから無理、若いから無理、何かしらの理由をつけて判断する。
どうして個々の能力や力を軽んじて、初めから偏った見方で決めつけるのだろうか。
初めから男性は力が強い、財力がある。女性は力が弱い、家庭的である。
それも男女差別をしている意識はなく、無意識のうちに差別化しているように感じる。
これは男女の問題だけではない。年齢や地位、見た目など、様々な状況で起こり得る。

発見したテストでのカンニング。改善してくれればと願ったが、結果は実らなかった

私は職場である問題を発見した。子どものカンニングだ。
これは食い止めなければならない。幼いうちに止めなければ、これから先絶対に後悔する。
そう思い、担任の先生に数名がカンニングをしていることを伝えた。
しかし、何も対処する様子はなく、その後のテストもカンニングをした形跡が残されていた。改善される様子がなかったので、満を辞して担任の先生にカンニングについて、クラス全員の前で話をさせてほしいと頼んだ。

私は非常勤講師のため、授業時間には授業を進めることが仕事だった。
でも、どうしても見過ごすことができなかった。授業の始めの時間をもらい、カンニングについての話をした。その時はカンニングをしていた数名は、目を合わせまいとうつむき動揺する姿が見られた。これで改善してくれればと願ったが、結果は実らなかった。

次のテストでもカンニングをした形跡が残されていた。無念だった。
私はテストを行っている時に教室にいない。いや、行くことができない。非常勤講師という立場のため、授業準備のいらないテストは私の勤務時間外に行われている。そのため、テスト中にカンニングを阻止したり、確実にカンニングの事実を把握したりすることが難しい。
止めたくても現場にいなければ、その場で止めることは不可能だった。この出来事ももどかしかったが、本当にもどかしかったのはその後だった。

尊敬する先生に相談するも、立場を気にして動くことすらしてもらえなかった

私よりも先輩、尊敬する先生にカンニングの起きているクラスについて相談すると、こう言われたのだ。
「あの先生がね、若かったら私もなんとか手立てしないの?って言うんだけどね…」
カンニングの起きているクラスの担任は50代以上の男性教師。強面で子供たちからも先生たちからも一目置かれていた。
間違っているけど、相手は年上だから言えない。

どう考えてもカンニングがおきていることはよくない。間違った状況であったとしても、立場が弱いと間違ってる、なんとかすべきだと言うこともできない。
私はこれから先の子どもたちのことを考えてなんとかしたいと思った。自分の力不足で改善できず悔しかったが、毎日見ている先生たちなら変えられると思った。
でも、結局は立場を気にして動くことすらしてもらえなかった。

「そのうち厄介者扱いされて切られるだけだよ」そんな現場、私はいつか変えてみせる

このことを相談した友人に言われた。
「来年になったら先生も変わるし、もうどうでもいいんじゃない?それに、簡単に切り捨てられる非常勤講師が上司にそんなこと言ったら、そのうち厄介者扱いされて切られるだけだよ」と。
怖かった。友人も先生も、そんな風な社会で世の中回っていることも。
上司や年長者の意見に逆らった行動をすると、周りから厄介者扱いをされる。年齢や性別で決めつけて、人生経験が長いから、年上の人の方がえらい。年功序列だから、年齢が低い者はそれ相応のふるまいをしなければならない。

正しいことを正しいってはっきり言えない方がずっとおかしい。
私は男女も年齢も立場も、より良くしたいと思う気持ちに左右される理由にならないはずだと思っている。
だから私は、そんな現場を変えたい。いつか、変えてみせるんだ。