Have you ever watched the movie, 'Sleepless in Seattle' ?
"No. Is it good?."

米国にあるシアトルは雨の街といわれる。
シアトルへ留学していた頃、たしかに雨の日が多かった。
しかし、それは日本で降る大粒の雨とは違い、霧のような静かな雨だった。

“Sleepless in Seattle” (邦題は「めぐり逢えたら」)と呼ばれる映画に、時折映るシアトルの風景。
私の頭のなかには、あの頃の思い出が蘇った。

シアトルの雨と、自然と触れ合った思い出

雨の日には傘をさす。
それはごく当たり前のことだった。
私がシアトルを訪れるまでは。

シアトルのバスに乗った時、大きな傘を持つ人はあまりに少なく、それと対照的に、フード付きのトレーナーを着る乗客が多い。
大学前でバスを降りると、すでに霧雨が降っていて、彼らはさらりとフードを被って去っていく。
私は、カバンに入った折り畳み傘を開き、その後ろを歩く。

歩いていると霧雨は直に止み、授業が始まるチャイムが鳴った。
「今日のテーマは、自然についてです」
先生が言う。

自然なんて、触れ合っていたのは子供の頃だ。
よく友達と公園で走り回ったり、家族で山登りをしたりした。
土でお団子を作るのが上手な子を見ては羨ましくて、真似して作ってみたけれど、上手くいかなかった。
ある時、その子が公園の隅から、とっても大事そうにお団子を取り出して、私に見せてくれた。
それはとっても美しく、神秘的なものに思えた。

草をじっくり眺める授業。少し面白さを感じ始めた

自然について、先生は何やら説明をしていたが、英語がまだあまり理解できない私には、
耳に入っているようで入って来ていなかった。
10分ほどの説明のあと、先生は言った。
“Let's go outside."
これは、聞き取れた。もう外に行けるんだと心が踊った。
先生はクラスのみんなにお題を与えた。
「外に出て、自然に触れて、自分が出会ったものを描いてみよう。」と。

子供じみた内容に、一瞬耳を疑ったが、外に出られると知って、喜んでノートとペンを持った。

クラスメイトも同様にノートとペンを持ち、草花や動物(主にリス)の絵を描き始めた。
私も日陰に腰かけて、草の絵を描いた。
草をじっくり眺めたことはなかったが、描き始めると案外、線がたくさんあって、その線は同じようで違っていた。

隣の草と同じように生えていても、少し傾いていたり、真っ直ぐ立っていたりする。
なんだかわからないまま、少し面白さを感じ始めた。
隣の子の「草の絵」を横から覗くと、なんだかすっごく上手で、細かく観察しているんだなとしみじみ学んだ。
しばらくすると、先生は集合の号令をかけ、クラスメイトもそれぞれのデッサン場所から戻って来た。

自然を感じるって、とっても身近にあって、とっても美しい

授業の翌日、また雨が降った。
今日はずっと雨模様らしく、教室か図書館にいるのが無難だ。
友人と図書館へ向かう道中、昨日描いた草花が目に入る。
雨の雫をたくさん含んだそれらは、なんだか美しく思えた。

自然を感じるって、何かはよく分からないけれど、とっても身近にあって、とっても美しいものなのかもしれない。

少しだけ視野の広くなった私は、フード付きのトレーナーを見に、校内のショップを見にいこう。と友人に言っていた。
その足取りは、どこか軽くなっていた。