『雨』、私は雨の日が好きだ。子どもの頃は遠足や運動会などのイベントが雨によって中止になる為、テルテル坊主をたくさん作り晴れることを祈ったが、雨が嫌いだった訳ではない。雨の日は、水溜まりをわざと踏んで下校していたくらいだ。

大人はなぜ、そんなに雨が嫌いなのか、イライラするのか

大人になるにつれて多くの人が雨を嫌っているのだと感じるようになった。雨の降る日に電車に乗ると、だいたいの人が憂鬱そうな顔や機嫌が悪そうな顔をしている。なぜ、そんなに雨が嫌いなのだろうか。雨にそんなにイライラする必要はあるのだろうか。お気に入りの洋服が濡れるのが嫌なのだろうか。靴が汚れるのが嫌なのだろうか。雨に濡れると服が肌に張り付き不快な感じがするのが嫌なのだろうか。それとも、湿気で整えた髪型が崩れるのが嫌なのだろうか。私の推しは、水が跳ねて洋服が汚れるのが嫌いと話していた。

私は雨が降り始めたら、まず匂いを嗅ぐ。すると、地面の匂い=地球の匂いが感じられる。都会から少し離れた田舎になると、より一層地球の匂いが感じられるのでお勧めしたい。しばらく降っている時の雨の香りも格別だ。水とは違った地球が浄化された香りがする。耳を澄ませば、地球が発生させるリズミカルな音を聞くことができる。それも本日限定の特別アレンジバージョンだ。トタン屋根に雨が当たる音やベランダに雨が当たる音、豪雨の時の地面に打ち付ける雨音が特に好きだ。水溜まりや池に落ちる雨の波紋を見るのも、とても癒される。

夜は万華鏡の世界。好きな人の水分が自分の元に降ってきているかも

雨の日に外に出れば傘を差せる。日傘は季節によって人目を気にしてしまうが、とっておきの綺麗な傘を堂々と使えるのだ、最高ではないか。お気に入りの傘が使えるだけで、気分が上がる。雨が降ればいつもの見慣れた街も色とりどりの傘で彩られ、違った景色を楽しむことができる。夜になれば明かりが雨や水たまりに映り、万華鏡を覗いたような綺麗な世界が楽しめる。

雨がどこからやってきたのか考えたりするのも好きだ。もしかすると、自分の好きな人から生じた水分が自分の元に降ってきているかもしれないと思うと心が弾む。雨によって大地に水分が吸収され、生命に繋がっていく。美味しい食事を食べたら幸せになるが、美味しく食事を食べることができるのも雨が降るからだ。

嫌いな人も、五感で雨を感じて欲しい。今までと違う世界に旅ができる

雨が降る中、傘を差さずに何も気にせず外を歩くのも格別だ。1度、体験してみて欲しい。家路に帰る途中に、通り雨にあったことがあった。生憎お気に入りの傘は持っておらず、まあいいかと思い、急ぐこともなく、化粧も洋服も気にせず普通に歩いてずぶ濡れになって帰った。雨でずぶ濡れになることは大分久しぶりだったが、こんなにも心が軽く清々しい気持ちになったのは幼少期ぶりだ。まるで、雨が汚くなってしまった自分を清め、しがらみから解放された気がしたのだ。大人がずぶ濡れになっている姿や水たまりにダイブする姿は、中々お目にかかれない。いかに他者の視線を気にして生きているのかが分かる。大人になっても水溜まりを踏む楽しさは履く靴さえ間違えなければ、変わらない。私は水溜まりを今でも踏んで歩く。

雨の日がこんなにもキラキラしていることを皆が知らない、もしくは忙しい社会に飲み込まれて感じようとしていないと思うと、より自分だけが知ってる世界のように思えていっそ内緒にしておきたくもなる。でも、折角なので、雨で憂鬱になっている私の推しに雨の匂いの良さを伝えてあげた。しばらくすると、好きな香りに雨が追加されていた。好きな人が雨の匂いを感じてくれていると思うと、これまた幸せな気持ちになる。雨が嫌いな人も地球に生きている者として、五感で雨を感じて欲しい。きっと今まで見てきた世界とは違った世界に旅ができて楽しいはず。