自分は自分以外になれないことを教えてくれたのはあの子だった
「人間はうさぎになれないんだよ」
幼馴染の言葉に、私の世界はひっくり変えった。
子どものころ通っていた保育園では白いうさぎを飼っていた。家から持ってきた野菜の皮やかけらをあげて、むしゃむしゃ食べる様子をずっと見ていたのを覚えている。私はそのかわいらしさに夢中で、先生に将来なりたいものを聞かれて「うさぎ!」と答えた。
なりたいものに絶対なれると、当時の私は信じていた。小さな子なら誰でもそうだと思う。だが、それを横で聞いていた幼馴染のサキちゃんがつぶやいた現実は、この世の真理だったのだ。
自分は自分以外になれないこと、夢は必ず叶うわけではないこと。いつかは直面する壁に4歳でぶち当たり、木っ端微塵に砕けちる。幸か不幸か、そのおかげで誰かになりたいという変身願望にとらわれず大人になった。
憧れの人になりたい。幼いころの自分と再会した職場で思うこと
新卒入社したアパレル企業で販売員となり、幼いころの自分と何人も再会した。
「〇〇ちゃんになりたくて」
開店前から並び、お店になだれこんでくる女の子たち。鬼気迫る顔は、正直とても恐ろしかった。欲しかった服が買えず、クレームを言われたことも一度や二度ではない。憧れの人と同じ服を着ても、化粧品を使っても、その願いは叶わないのに。
私の胸に虚しさとともに湧き上がってくるのは、「なってどうするの?」という疑問だ。仮に同じ存在になったとしても、人はオリジナルのほうへ引き寄せられるだろう。
真に彼女たちが求めているのは誰かになることではなく、憧れの人に向けられた好意や羨望なのではないだろうか。
私がうさぎになりたかったのは、保育園中のみんなからかわいがられていたからだ。そして、密かに憧れを抱いていた幼馴染も、誰からも好かれていた。
明るくて活発なその子と私は180度真逆だった。人見知りで、一人で絵本を読んでばかり。幼い私の目に、サキちゃんはぴかぴかして眩しいくらいだった。
彼女に幻想を壊されたからこそ、私は「こうありたい」という目標へ、いかなる努力も惜しまずに走りだせるようになった。人からはストイック過ぎると言われることもあるけれど、理想を実現するにはそれなりの熱量が必要ではないだろうか。
「いいなぁ」とか「うらやましい」と言っているうちは餅の絵を描いているだけ。本当に食べたいなら、材料を買ってつくらなくてはならない。結局、最後は自分の力でなんとかするしかないのだ。
「どんな自分になるか」は自分で決める。そう思えたのはあの子のおかげ
自分は自分にしかなれない。けれど、どんな「自分」になるのかは決めることができる。
サキちゃんの一言がきっかけで、私はアイデンティティを確立したのだ。ショックは大きかったけれど、今の私があるのはあの苦い体験をしたから。
彼女が今、どこでなにをしているのか、さっぱりわからない。小学生ぐらいまでは一緒に遊んでいたが、中学校へ上がるとサキちゃんはグレて不良になってしまった。会うこともなくなって、それっきり。
それでも、ずっと私は幼馴染への憧れを捨てることはできないのだ。