私には憧れがある。それは、雨の日に好きな人と相合傘をすることだ。

雨が降ると、1つの傘に人が2人、肩を寄せ合いながら歩く。身長が高い人が傘を持っていることがあれば、2人で持っていることもある。1つの傘内の2人だけの時間。それは、時に秘密を孕んだりもする。2人だけの世界だ。

相合傘をしている人を見て、「羨ましいな」と思う。相合傘は私の憧れ

他人が織りなすその光景は、見せつけられてるという妬みというよりは、憧れ。相合傘をしている人を見て、羨ましいなと思うのだ。自分のペースで歩きたい私にとって、相合傘自体難しい可能性もあるが、憧れている。自分の性格的に、いざ、その場面に遭遇しても「大丈夫」と言ってしまう可能性もなきにしもあらずだが、憧れている。

相合傘自体は、したことがある。急な雨の日、友達は「傘持ってない」と言うので、私の傘の中に入れてあげた。ある時は、建物と建物間の外移動の時だ。私は段ボールを両手で抱えていたので、片手が空いている人の傘に入れてもらった。段ボールを守るためであって、私が傘から守られているわけではないが。相合傘という感じはしなかった。正直、相合傘にまつわる心に残る思い出というものはない。

誰かと入った、という記憶だけ。相手との会話すら覚えていない。きっと「凄い雨だね」「急に降りましたね」という会話が生まれていたか生まれてないかだろう。傘はどちらかというと、入れてあげることが多かった。傘を持っていない人が、私の周りに多かったのかもしれない。
 
準備万端な私の鞄の中には、いつでも雨が降って良いように折り畳み傘が入ってしまっているのだ。折り畳み傘は大変便利な物だ。しかし、私の相合傘の憧れは壊れる(少し笑ってしまうほどに)。

少女漫画の様な恋に憧れていたこともあったが、現実に打ち砕かれた

急な雨が降っていても、私の鞄の中には折り畳み傘。斜め前に好きな人が傘を刺して歩いていたとしても、折り畳み傘を急いで畳んで、好きな人に「入れてよ」という勇気はどこにもないだろう。そこまで装って相合傘をしたいわけではない。偶然の元の相合傘が良い。変な拘りを持った私がいる。

好きな人と外を歩いた経験は、学校の登下校の時くらいだろう。雨が降っていても、登校時は相合傘したいという密かな思いより、圧倒的に、電車が遅延しないかと心配をしてしまう。私が使ってる電車が遅延しなくても、相手が使ってる電車が遅延する可能性がある。

電車の遅延が原因で、道端で会うことさえなくなってしまうかもしれない。雨は私の日常を崩すことがある。約束なしに好きな人に会える登校、そのような朝の楽しみが崩れたことがどれほどあったか。

何故私が相合傘に憧れを抱いているか、理由は定かではない。小学生の頃よく読んでいた少女漫画に、相合傘のシーンがあったのは覚えていない。あった可能性もあり、なかった可能性もある。少女漫画の様な恋に憧れていた時期もあったが、その憧れは現実と共に打ち砕かれた。だから、私にとって少女漫画は、ファンタジー。

小学生の頃、相合傘の右と左に「私と好きな人の名前」を書いた

私の小学校の時は、交換ノートが流行っていた。そこには“LOVEコーナー”があり、よく好きな人の名前を書いていた覚えがある。しかも、相合傘を書いて、持ち手部分の右と左それぞれに名前を書いた。非常に懐かしい思い出だ。もしかしたら、そこから私の憧れは始まったのかもしれない。相合傘は、好きな人と入るという。

雨が降ると、相合傘をしている2人。そのような憧れは、傘を閉じても開いたままだ。大人になっても、子供の頃の密かな憧れが消えないでいる。
 
好きな人との相合傘、叶うかは分からないが、もし叶ったらその時間を楽しみたい。どの様な思いで傘を握り締めるだろうか。私には想像がつかない。今日もまた、1人傘を握り締め、街を歩いている。