大学4年生。21歳だった私の、あの夏の挑戦。
中学、高校は地元の進学校で勉強に打ち込み、大学は部活に明け暮れ、目の前にある世界がすべてだった私。狭い世界の人間関係がすべてだったので、周りからの視線に苦しむことが多かった。
そんな私が、初めて海外に飛び出したのが大学4年生、21歳の夏。大学で打ち込んでいた部活も引退し、やっと自由な時間が取れるようになった頃だった。
3年生の終わりから始まった就職活動はまったくうまくいかず、何度も自分を見失いそうになった。もう就職なんてしなくてもいいのではとも思ったけど、あと少しだけ、留学の出発までは頑張ろうと最後のあがきをした結果、出発の1週間前になんとか就職先が決まった。
そうしてやっと心置きなく向かった初めての海外は、ドイツ。英語もドイツ語も話せないけど、無謀にも2ヶ月の短期留学を個人で申し込んだ。
ずっとしたかった留学。その気持ちを見過ごせなくなり、留学を決めた
本当は、ずっと留学をしたかった。ど田舎で育った私だけど、実は小学1年生から英会話を習っていた。小学校の高学年の頃には、学校でもらった小学生向けの海外滞在プログラムのチラシを握りしめ、行かせてほしいと親に直訴した。もちろん、高すぎるし、英語も話せないのにダメだと断られた。
今になれば親の気持ちがわかるけど、当時勇気を振りしぼって打ち明けた私は、その返答に落胆した。だからそれからずっと何年も、海外に行きたい気持ちにはフタをしていた。
だけど、大学で出会った友人たちが留学に行くのを見ていたら、むくむくと湧いてくる気持ちがを見過ごせなくなり、留学に行くことを決めた。
大学生の留学には遅すぎる、大学4年・夏の留学。遅いことにコンプレックスを抱えながらも飛び込んだ、ドイツの語学学校。この場所が、私がひとに寛容になりたい、やさしい人間になりたいと思うきっかけとなる。
クラス分けの面談を経て私が入ることになったクラスは、10人くらいの初級コース。みんなの出身国は様々で、ヨーロッパ圏内からきた子もいるし、アジアやメキシコから来た子もいた。
大学4年での留学は遅すぎると思っていたけど、実はこのクラスは1人を除いて同い年以上で、他のクラスを見渡しても同い年の学生が多かった。あとから知ったのだけど、私が通った校舎は、秋からドイツの大学院に入る学生の事前語学研修を担う学校だった。
授業が始まってからも依然言葉が話せない私だったけど、みんなとってもやさしかった。課外の文化プログラムでは違うクラスの子とも仲良くなったのだけど、言われていることがわからない私に、理解できるまで英語とドイツ語を繰り返して説明してくれる子もいた。自分も通ってきた道なので、言葉がわからないひとの気持ちに寄り添えるのだろう。
留学するまでは、他国の学生には日本の学生にはないキラキラさや近寄り難さがあるように思っていた。それに加え、言葉を話せない私はコミュニケーションが取りづらく迷惑をかけてしまうのではと、とても引目に感じていた。
だけど、実際に留学をしてみたら、amy!と呼んで輪の中に入れてくれる友人ができた。そして1ヶ月が経つ頃には、プライベートの時間も一緒に過ごすほどになっていた。
手を差し伸べてくれた友人。言葉は話せなくても友情は芽生えていた
ある時、文化プログラムの一環で食事会に参加した。食事会といっても、みんなで自国の料理を作って持ち寄るパーティーのようなもので、その後はクラブミュージックをかけて楽しむダンスパーティーが用意されていた。
私はダンスなんてしたことがないし、それこそ場違いだと思ったので、もちろんダンスパーティーが始まる前に帰るつもりだった。でも、予定時間よりも早くパーティーが始まってしまった。
そこで事件が起きたのだけど、面識のなかった他のクラスの男の子に変な絡まれ方をされてしまった。そんなことは初めてだった私はどうすればいいかわからず、流されるままに相手をしてしまっていた。
そうしたら、様子がおかしいことに気づいた友人たちが間に入ってくれて、彼と引き離してくれた。その後、心配だからと、同じクラスの男の子が家の最寄りまで送り届けてくれた。
言葉が話せなくて迷惑をかけることに負い目に感じていた私だったけど、言葉は話せなくても友情は芽生えていたことに気づいた。友人が困っていたから助ける、手を差し伸べる。たったひとりで飛び込んだ世界だったけど、1ヶ月足らずでこんなにも世界は変わるのだと知った。
海外で学んだやさしさ。私も、やさしくて寛容な世界を作っていきたい
何も言葉を話せないまま海外に飛び出した私だったけど、この1ヶ月でたくさんのことを学んだ。言語はもちろん、異国での生活の仕方や外国人としての振る舞い方。
でもなにより、私の想像を遥かに越えて、世界はやさしいのだと知った。受け入れてくれる寛容さがあった。だから私も、そんな世界を作っていきたい。8年前の夏に挑戦をした私はいま、やさしくて寛容な人間になれているだろうか。