「私、八方美人の人は正直苦手ですね、仲良くなれないです。」
テレビから流れてきた言葉に、少し息がつまるような、胸がチクチクするような感覚になった。
八方美人の何が悪いんだろう。なんでもはっきりとズバズバ言ってしまう人に、傷ついてる人もいる。少なくとも私はそう思っている。八方美人に対する賛否両論はあれど、これは事実だ。
でも何故だか苦しい。きっと面と向かって同じセリフを言われても、私は何も言い返せない。

「暗い気持ちになるから、そんな話しないで」
私がポロっと悩みを打ち明けた時、友達にそう言われたのが全ての始まりだった。
友達も悪気があって、そんなことを言ったのではないと思う。単純に私の話を避けたかったのだろう。話の内容は、正直覚えていないけれど、家族の話題だった気がする。
その友達は、私と同じ母子家庭だった。だからこそ、私はその友達に話を聞いてほしかったのだと思うし、だからこそ、友達はその話題を避けたかったのかもしれない。

家族の話はタブー。このルールが自分をとてつもなく苦しめた

私はこの日を境に「友達にネガティブな話はしないほうがいいんだ」と思った。その特定の友達だけではなく、自分の周りの友達みんなを指している。特に家族の話は、自分の中でタブー化してしまった。
このルールは、そこから何年もの間、私をとてつもなく苦しめた。

私は、もともと明るくていつも笑っている子どもだったと思う。私が言ったことで周りの人が笑ってくれることが、すごく嬉しかった記憶がある。
だから、自分が言ったことで、他の人を暗い気持ちにさせてしまうなんて、自分の中で許しがたいことだった。

そんなマイルールを自分に課したけれど、思春期になり、私の悩みはどんどん膨らんでいった。膨らむネガティブな感情を、自分の中に閉じこめて閉じこめて、絶対に出てこられないようにした。
出てこられないようにしたはずなのに、気づくと、代わりに涙が出た。だんだんと何が苦しくて辛いのか、自分でもよくわからなくなっていった。

他人を傷つけずに済んだけど、自分のことはズタズタに傷つけた

この呪いにかかったからなのか、もともとそうだったのか、私は所謂「八方美人」。今もずっとそうだ。ちょっとした愚痴も悩みも含めて、「ネガティブな話はしないほうがいい」から「してはいけない」にいつの間にか変わってしまい、いつからか誰かに対する愚痴や、悩みを人に言えなくなってしまった。
つらかったけれど、思春期の頃の自分は、このマイルールが正しいと信じていた。でもある時、悩みを打ち明けるということは、相手を信じてるというサインだと思った。
誰かに裏切られた訳じゃないのに、当時の私は人を信じられなくなってしまった。他人を傷つけずに済んだけど、自分のことはズタズタに傷つけてしまっていた。あの頃の自分には、本当に申し訳ない。

それから数年たった今。人の愚痴で盛り上がる仕事仲間や、好きな男に振られて泣きじゃくりながら電話をかけてくる女友達、今日もイライラしている上司で私の周りはにぎわっている。
批判ではない。むしろ羨ましさから、こんなひねくれた表現になってしまう。彼らは私には無い人間味があって、愛くるしいと思う。

まだまだ八方美人だけど、笑顔の仮面をつけて一人で泣くのはやめた

自分の感情を素直に人に打ち明けられるということは、多かれ少なかれ、相手を信頼しているということじゃないかと思う。
まだまだ八方美人の私だけれど、笑顔の仮面をつけて一人で泣くのはやめにした。昔の自分は、「愛されたい」「信じてもらいたい」という承認欲求まみれの人間で、弱い自分を隠していた。
信頼されるということは、「信じて頼ってもらえる」ことだけではなく、自分から相手を「信じて頼る」ことで得られるものだと私は知った。不器用で、打たれ弱くて、けれど人間らしい自分を他人に見せられるようになった私は、昔よりもずっとずっと信頼関係を築けていると思う。もっと早くあのマイルールを破っておけばよかった。
すごく勇気のいることだけど、信じてもらいたいと思うなら、まずは自分から相手を信じて人間らしい自分をさらけ出してみてほしい。