新入りの母に、クラスメイトの家庭や子供について教えてくれる人たち
「〇〇さんとこ、変わった人よねぇ。」
私は幼少期、この言葉に怯えて生きてきた。
生まれるや否や、父の転勤で2年毎くらいに全国各地を転々として過ごしてきた。
うちの家族は引っ越しも転校も慣れたもんだった。
街中に引っ越す事もあれば、美味しい湧き水に恵まれて、星がキラッキラに見える地方に住む事もある。
せっかく仲良くなった友達と離れる事は毎回寂しかったが、新しい土地に住むことは毎回ワクワクだった。
小学生の高学年に引っ越したところは特に星が綺麗で、後にも先にもあんなに星を近くに大きく感じたのはあそこだけだったと思う。
そこの小学校は、1学年に1クラスずつだけだったから、生徒も先生も全校生徒が顔見知りだった。
私の新居は同じクラスの友達が近くにたくさん住んでいて、子供たちだけでなく、親同士も仲がとても良かった。
P T Aを何年も担当していて顔の広いお母さん達が、この街に新入りであるうちのお母さんによかれと、色んなクラスメイトの、家庭や子供について教えてくれた。
一度貼られたレッテルのイメージを払拭することは、田舎では困難だ
「あそこのママはバツイチだったけど、一回り以上も上の人と再婚した。気が強くて挨拶もろくに返さない。」
「あそこはP T Aを断ってばかりで何もしない。娘も挨拶もできない無愛想な子。」
「あそこはいつも派手な服を着て、授業参観もミニスカで来る。親がほったらかしだから、子供は万引きをしたり学校をサボったりしている。」
そんな噂は、この田舎では全員が知っていると言っても過言ではないほど、皆に知れ渡っていた。
そして、「あそこは変わっている」このレッテルを貼られたら、もうそのイメージを払拭するなど、不倫で世間を賑わせた芸能人が、活動自粛から復帰することほど困難だった。
母は私に、派手な服を着ないように、挨拶は絶対丁寧にするように、お家にお邪魔したら良い子にするようにと、“できるだけこの町で浮かないように”、どの家庭でも教えるであろう基本の礼儀と、変に目立たないでいることを徹底し、無難でいるよう教育した。
私は授業参観が怖かった。お母さんに見られるからでなく、他のお母さん達によく見られるからだ。
友達のお家に遊びに行くのも次第に怖くなった。
お母さんが帰って来た後、そのお家のお母さんに、娘がお世話になってしまったみたいでと電話するときに、うちの親が何か言われないかいつも不安だった。
どうして田舎は、他と一緒を好み、他と違うを排除するのだろう
生徒が少ない分、先生にも1人1人よく見られるから、学校でも良い子だというイメージが壊れることを恐れて“良い子”を演じ続けることに必死だった。
もっと自由に子供らしくしていたかったのに、精一杯子供らしくいることを唯一許される時期だったのに、あの、「あそこは変わっている」その目が私をがんじがらめにした。
どうして田舎は特に、他と一緒を好み、他と違うを排除するのか。
そんなものさえ無ければ、もっともっと才能を開花させ伸ばしていく子供が増えただろうに、悔しいくらいにそう思う。
結局は、私がそれを越えていく勇気が無かっただけ、そういう話だけれど。
田舎は住みやすいという人も多いが、どっちも知っている私は思う。
「あそこは変わっている」小さな小さな町でのこのレッテルの貼付活動は、どこかで止めないと。
世の中このまま違いを楽しめない、許せない人間だらけになってしまうから。