小学2年生の授業参観で気付いた。「ふつう」なのにおかしい家族

「ふつう」

柔らかな耳障りに反して本性はタチの悪い悪魔だ。

私の家族がおかしいと勘づいたのは小学2年生の授業参観だった。

国語の授業、作文のテーマは「お父さんのお仕事」。

教室の後ろにはいつもより華やかなお母さん方とスーツに身を包んだお父さん方がわんさかいた。

ふと父と目が合う。

父は笑顔で私に手を振った。

私は咄嗟に目を逸らす。

ーー私のお父さんだけみんなと違う。

私の父は背中一面によくわからない日本の女神様と蓮の刺青が入っていて、それは見えないから別にいいけれどお髭ジョリジョリ、金髪、白ジャージ姿だ。

頭はロン毛になったりスキンヘッドになったりする。

浮いているのは一目瞭然なのだ。

クラスメイトが次々とお父さんの仕事について作文を読み上げる。

私立の小学校なだけあって思い返せば、世間的に鼻の高い肩書きを持つお父さんばかりだった。

そして私の番が来た。

「私のお父さんはお仕事をしていません」

これが作文の始まりだ。

大人がざわついたのを疑問に思いつつ続ける。

「お父さんはお金は稼いでいないのでみんなのお父さんがしているお仕事とは違うけれどお家のお仕事をしています。お家をピカピカにしてくれたり、美味しいご飯を作ってくれたり、会社から帰ってきた疲れているお母さんの肩を揉んでいたり、私に宿題を教えてくれたり、一緒に遊んでくれたり、お仕事が沢山あります」

これが私にとってのふつうだから、恥ずかしげもなくふつうに話した。

でも私のふつうはふつうじゃなかった。

脳裏に焼き付いた父の悲しい顔。母のため息は増え、歯車が狂い始めた

家に帰ると
「お父さんが仕事してないことは言わないでほしかったな」
と溢(こぼ)した父の悲しい顔が今でも脳裏に焼き付いている。

その頃から母のため息は増え、家族の歯車が狂い始めた。

それまで料理と子育ては父と母、その他の家事は父、仕事は母、そうやって私の家庭は何不自由なく回っていたのに。

とはいえクラスメイトやその保護者から家族について揶揄われることはなかった。

ただ優しさゆえに腫れ物のように扱われているのは幼い私でもひしひしと感じた。

「遊花ちゃんのお家はふつうじゃないから家族のこと聞いちゃだめよ」
とでも親に言われたのだろう。

友人同士の会話で家族の話がでると場に緊張が走って話をあからさまに逸らされたり、「遊花ちゃんも遊花ちゃんのお母さんも可哀想だから仲良くしてあげなさいってママも言っていたし心配しないで」と7歳児に気を使われたこともある。

そんな私の家族もふつうだった時代がある。

母が父の田舎に嫁いでマイホームを買い、父が公務員、母は専業主婦をしていたのだ。

しかし都会育ちの母は田舎に馴染めず私を連れて東京に帰った。

そして後を追うように東京に出てきた父だったが今度は父が都会に馴染めない。

こうして側から見れば歪な家族の形に収まったわけだ。

学校外でも母の実家からは「働かない夫」として心配されて
父の実家では「期待に沿わなかった息子」のレッテルを貼られ、田舎だから噂もすぐに広まった。

母も父も肩身が狭くなる一方だ。

いつしか母は「働かない夫はおかしい」「妻と娘が可哀想」というあちこちから聞こえる声に恥ずかしさを募らせ、または外野からの声が正しいという気がしてきたのか
父に仕事をするよう促すようになった。

しかし父はいくつか仕事に就いたもののどれも続かなかった。

都会と性が合わないという理由の他に
子どもの頃から田舎の立派な家の長男として我慢し、努力し続けてきた反動もあったのだろう。

一旦ふつうのレールを外れたら、急に周りが敵になり、何をやってもうまくいかなくて自暴自棄になる。

負のスパイラルに飲み込まれた父を母は咎め、夜な夜な喧嘩が続いた。

そして母が父を家から追い出し家族解散。

だが離婚したら世間の目から自由になれるわけもなく、可哀想なシングルマザーと娘として無神経に親身になられるだけだった。

大人になった私は父が主夫でよかったと胸を張って言える。

家父長制に触れずに育った私は、性別で決めつけないことが母だけでなく、父も解放していたのを知っている。

ただ当時の世の中のふつうより私たち家族は先を走り過ぎて理解されなかっただけだ。

世の中には驚くことがいっぱい。受け流せず、消化できないことも

しかし困ることもある。

彼氏を含め、生きていく中で出会う男性、友だちの家族や彼氏の話を聞いて驚くことがいっぱいあるのだ。

私はそれらを受け流せず、反抗したくなったり、うまく消化できなかったりする。

女や家事育児を下に見たり、あぐらをかいているわがまま赤ちゃんのような男性の多いこと。
いい歳した成人男性の世話をあれこれすることに疑問を抱いていない女性が多いこと。

私の父から連想する男性像と正反対なのだ。

だから父の話を友人にすると「羨ましい」「凄い」と褒められるが、当たり前のことを当たり前にするのが男性というだけで賞賛されるのもちんぷんかんぷんだ。

?が多すぎて、おこがましいが私自身、結婚したいと思える男性に出会えるのか、そんな少数派な男性が自分を好いてくれるのか、まるで自信がない。

だからといってなくなったトイレットペーパーも取り替えられない、大きいだけで可愛くもない赤ん坊の世話を一生する奴隷のような約束になんのときめきも感じない。

それよりは一人で自由に生きた方が幸せだとわかっている。

そして「女の幸せ」「女の子なら一度は夢見るお嫁さん・お母さん」といったフレーズ、「女のシングル=寂しい」といった根も葉もない価値観に屈せず後者を選べる強さが自分にはあると自負している。

世間体を気にしないで本物の幸せを選べばいいと教えてくれたのは両親だから。

私は物心ついた頃から家事をするのが当たり前だった。

誰かに「遊花ちゃんはいいお嫁さん(お母さん)になれるね」と言われれば両親は「遊花が女だからやらせているわけじゃありません。生活のために必要な力ですから」と答えた。

また父は「もし子どもが生まれても子どもと自分を養えるくらいの仕事に就いた方がいい」と昔から私に言い聞かせた。

男に頼る女を美徳にせずに育ててくれた二人はふつうじゃなかった。

いや、ふつうを超えていた。

そして両親の考えるふつうを世の中のふつうにするために私もふつうを超えてゆく。