私は中学校高校とソフトボール部でキャプテンをやっていた。 これから綴るものは、私が「優しい部長」「厳しい部長」を両方やってみた実体験の話だ。

中学時代、兄や弟がやっていた野球を見てなんとなく、私はソフトボールをやらなきゃなあと思い入部した。入ってすぐに思った事は「もう敬語ではなさなきゃいけないんだ」だった。小学校ではなかった上下関係をひしひしと感じた。

後輩を責めず、同級生にも優しくした。どんどん成績が下がっていった

年が変わり、2つ上の先輩が引退。ひとつ上の先輩と私たちの代になった。
先輩は厳しかった。暴投したら舌打ち、準備が遅いと怒鳴る。日々の練習が本当に苦痛だった。私達は毎日のように「絶対後輩には優しくしようね」と話していた。

そして先輩が引退し、私たちの代。10人の後輩にも恵まれ最後の年を迎えた。
有言実行、私達は後輩に優しくした。荷物は自分らで持ち、暴投しても「大丈夫大丈夫!」。自分らの思う『いい先輩』を全うした。 私自身も部長として、後輩を責めることはなく、同級生にも優しくした。するとどうだろう。どんどん大会の成績が下がっていった。先輩の代より明らかに雰囲気はいいのに。
でももう戻れなかった。総体間近、修学旅行で問題を起こし同級生2人が出場停止、後輩2人も総体当日に欠席。
私が、私達が厳しく目を凝らしていたらこんな事にはならなかった。後輩もきっとズル休みだ。1年半共に過ごした先輩の最後の日に、後輩はズル休みをした。
所詮そんなものだった。 上辺だけの薄っぺらい先輩後輩ごっこをしていただけだったんだと、そこで初めて思い知らされた。

高校時代、また部長に。自分を叱った先輩のように厳しくすると決めた

そして高校時代、また部長に選ばれた。
もう二度と部長なんて、と思っていたが、後戻りは出来そうになかった。
だから今度は自分を叱った先輩のように厳しくしようと、心に決めたのだ。

暴投したら舌打ち……とはいかないが、明らかに集中していないミスは叱った。準備の時だって駆け足!とグランドの隅から隅まで目を凝らし、歩いてる部員を叱った。 それは後輩だけでなく、同級生にもやった。

私たちの代から人数の関係で隣の高校と合同チームを組むことになった。しかしそのチームは私達がかなり見下してきたチームで、チームメイトとなるには不安しかなかった。
最初のミーティングで部則、目標を決めることになった。大きな声で返事をする、グランドは駆け足、ミスを恐れない。 目標は県ベスト8。
目標、部則を皆で決めたからには絶対に実行し達成させようと思った。
1番部則を破っていけないのは私だ。部則を破る部長に注意なんてされたくないと思い、どんなに疲れていてもこの3つは守るようにした。

練習メニューについて何度も文句を言われたり、後輩に叱れない同級生の代わりに私としてはなんとも思ってもないようなことで後輩に叱ったり、色々空回りはしていたと思う。でも自分なりにやれることを精一杯やった。

『きまり』を何でもかんでも否定するような人間は、何にもなれない

そうやって部長の2年間過ごしていたら、県1位の合同チームになることが出来た。
違う学校とチームを組んでいても、ひとつのルールに乗っ取り、ひとつの目標を目指せば必ずひとつのチームになれる。そしてそれに導くためには固い意思をもったキャプテンが必要だ。
あちこちの甘い意見に騙されず、自分の意思を、これだ!と決めたものを突き進む。もちろんそれは自分の部則や目標に。

部則、ルールは誰の為にあるんだろう、それは先生でも保護者でもない。自分たちのためだ。
ルールを守ることで規律正しいチームになり、周りから見ても内から見ても美しいチームになることが出来るのではないだろうか。そしてそれが大会の成績、結果にあらわれ、自分たちに返ってくる。 おかしいと思った部則には反論するべきだが、『きまり』を何でもかんでも否定するような人間は何にもなれない。
ルール=悪。そんな現代を私は嫌っている。
ルール=正義。ルールに則れば絶対にいい事がある。そのためのルールだ。
ルールを破れたら、と願う人が多く読むだろうここでこんなことを言うのは場違いだと思うが、ひとつ言わせて欲しい。

ルールは守れ!!!!