日本人だからかな、私は富士山が好きだ。
3776メートルの美しい姿を見ると心が震える。背筋が伸びる。
だからあの夏、20歳の夏休み。こっぴどく叱られてものすごいブサイクな顔の自分を鏡で見ながら決意した。
「そうだ、富士山に登ろう、山頂から朝日を見よう。もしかして、何かが変わるかもしれないから。」
自分が何者でもないことに気づいた20歳の夏、富士山登頂は一筋の光だった
富士山はルートによって開山時期が異なる。当時私が挑戦を決めた最も初心者向けと言われる吉田ルートは、7月1日開山。
急に思い立ったから、装備は近くで全部レンタル、行きのバスで「富士山 登り方 気をつけること」とGoogle検索。今思えばあまりの無鉄砲さに笑えてくるけれど、その時は至って真剣。それほどまでに追い込まれていた。
あの夏、些細な喧嘩が悪化して、「もうお前には学費を払う価値がない。今後、お前には1円たりとも払う気はない。」と父に言われた。有言実行の父に、である。
第三者から見ても私に非はなかった。適当に謝るふりをすることが一番簡単な解決法だと今ならわかるけれど、当時の私にとって、父に一言「すみませんでした」と謝ることは富士山に登頂成功するそれと同じくらい難しかった。
喧嘩の他にも、自分の将来や進路についてずっと悩んでいた時期だった。20歳というのは、自分が実際何者でもないことに(やっと)気がついた歳でもあったから。
そんなこんなで、一人で永遠に続く闇の中を走り続けていた私にとって、富士山登頂は一筋の光だった。
山小屋での夜。人生で一番美しい光景を見た
新宿都庁前を出発したバスは、逃げる隙も思い直す余裕も与えずに、あっという間に到着した。
腹を括って、五合目の広場で軽くストレッチをする。Googleが教えてくれた通り、装備と、水と間食、呼吸法をしっかり頭に入れて、私は歩み始めた。右足を出して、左足を出して、呼吸して、私はただただ無心で歩き続けた。
山小屋について、なんとなく小倉パンを購入し、見たこともない雲の上の絶景を独り占めにしながらパンを頬張る。美味しい。誰かに感動を伝えたい気持ちをグッと堪えて心の中で叫ぶ、「何このパン!美味しすぎてほっぺた落ちる!!!!」
美味しいパンをエネルギーにして、私はその後もひたすら無心で歩き続け、無事山頂近くの山小屋に到着。ハンバーグ弁当をいただいて、数時間ご来光前のアタックに備えて眠る。
とは言っても地上3000m級に位置する小さな山小屋。今の時代であれば「(密密密)!」とでも言われそうな混み具合の場所で、狭い空間で知らない他人とピッタリ横に並んで寝た。(注:耳栓は絶対必須。右のおじさんのいびきは今でも忘れない。)
やっとの思いで寝たにも関わらず、大問題発生。なんというお馬鹿、前日夜水を飲みすぎた私は尿意を催して夜中に起きてしまった。
貴重な睡眠時間が……と思いながら歩き続けて疲れきった体を起こし、少し怯えながら外に設置されているトイレに向かう。
その時、私は人生で一番美しい光景を見た。登山客のヘッドライトでできた、地上の天の川だ。
富士山のご来光を見るには私のように山小屋を利用し二日かける通常パターンと、夜アタックを始めて朝日を見る強者パターンがあるのだが、その強者たちが、ヘッドライトをつけて列をなし、山頂を目指しているその光景。それはそれは、言葉にできないほどに美しかった。
尿意も忘れて私は5分、いやもしかしてそれ以上、ただ無言でその美しい光景を眺めていた。満天の星空の下、キラキラと光る沢山のヘッドライト。ヘッドライトは揺ら揺ら動いて、まるで幻想的に光る川のようだった。
奇跡的な偶然が何度も折り重なって今がある、ただそれだけなのだ
あの美しい光景を見れたのが、ただただトイレに行きたかったからであったように、結局全部「偶然」なのかもしれない。
人生というのは腹立たしいほどに、上手くいかないことの方が多いけれど、深く思い悩む必要は、ないのかもしれない。勿論チャンスの前髪を掴むための努力は必要だけれども、もっと肩の力を抜いてもいいのかもしれない。
だって、奇跡的な偶然が何度も折り重なって今がある、ただそれだけなのだから。
私はあの夏、美しい光景を見ながらそんなことを思った。
その後無事私は山頂登頂に成功し、ご来光を見て、無事に下山した。富士山の神秘的な空気がそうさせたのか、ただ疲労困憊だったのか、不思議なことにその頃には喧嘩したことさえすっかり忘れていた。
富士山、あの時はお世話になりました。2度と忘れない素敵な夏の思い出をありがとう。