あの夏、私はアイルランドにいた。
転職活動が無事終了し、新しい会社までの有給消化期間。
初めて一人で外国に行くことに対して、不安の方が勝っている心を騙し、思い切って航空チケットとホテルを予約した。
前日は不安で眠れなくて、トランジットすら上手くいくか自信がなかったけど、気付いたら憧れの地、アイルランドに着いていた。
東京の夏の空気とは違って、とても冷たい風が吹いていた。
初日に受けた洗礼。堂々と道を歩けるように、自分を磨こうと誓った
一日目。地元民を装ったアジア系の観光客に追い掛け回された。
一人が寂しかったので、話し相手としては良かったものの、時間が経つにつれてスキンシップが激しくなっていき、ホテルまで着け回されそうになる。
間一髪、路線バスに乗り込んで事なきを得たものの、一人になった途端に体が震えた。
知らない国で、誰も頼れる人がいない今、孤独と不安で胸が張り裂けそうだった。
初日にして、洗礼を受けていた。
二日目。アジア人であることが惨めだと思った。
アイルランドは、アジア人がとても少ない。気品があるご夫婦が多く、観光地としては玄人向けなのかもしれない。
白人=美しい、という洗脳があるからか、背が低くて浅黒い自分がとても惨めになった。
英語があまりにも拙くて、意思疎通が満足にできなかったことも一因だ。
次に来る時までには、堂々と道を歩けるように、美しくなって、流ちょうな英語を話せるようになろうと誓った。
三日目。北アイルランド紛争の記憶に涙が出た。
学生時代、苦手な近代史で習った、北アイルランド紛争。
ツアーガイドの方が紛争の遺産でもあるピースウォールを前に、分かりやすく解説してくれたけど、その言葉よりも、資料館に展示されていた衣服や布団の血痕が衝撃的だった。
それでも、今のベルファストの町は明るく綺麗だった。大きな壁を乗り越えた人や街を見て、今までの悩みが少しだけ小さく見えた。
昨日までの孤独感や惨めさが自然と消えて、今のこの瞬間を楽しめるようになった。
空港へのバスでトラブル発生。アイルランドで触れた人の温かみ
四日目。ノープランのお散歩。
ブレイという、ダブリンの庭と呼ばれる海岸。今までバス移動ばかりだったので、電車に乗ってみたいと思い、ふらりと訪ねた。
小さな山の頂上にある、なんとなく目に入った十字架を目指して、ひたすら山を登る。
人が全然いないし、道なき道で、アウトドアが苦手な私にはかなり過酷ではあったが、なんとか目標にたどり着いた時、自然と笑顔になった。
波の音と、風に揺れる植物の音しかない世界。何時間でもいれそうな、不思議な空間。
ひょっとしたら、アイルランドに古くから伝わる妖精もいたのかもしれない。
五日目。親切なバスの運転手に助けてもらう。
空港へ帰るバスで、トラブルが発生。
バスのチケット代は、前日ならネット経由で払えるらしいが、現金じゃないとだめらしい。
そんなことはつゆ知らず、現金を使い切ってしまった私は文無し状態。
片言の英語で、このバスを逃したら日本に帰れないことを必死で伝えると、バスの運転手は苦笑いをして、唇に指を立てる。
内緒だよ、のポーズは全国で共通らしい。私は特別に無賃で乗せてもらったのだ。
さすがに無賃乗車ははばかられるので、明日のバスに乗るていでクレジット決済はしたものの、親切な対応に感動して、ダブリン空港でたくさんお土産を買った。
ありがとうアイルランド。不安ばかりだったが、最後、人の温かみに触れて、さらに大好きな国になった。
SNSで見る景色以上に、現地での経験は私の大きな糧になった
振り返ってみれば、たった一週間ほどの挑戦ではあったけど、私にとっては人生の大きな財産になった。
SNSを通じて見る景色の方が、綺麗かもしれないが、それ以上にその地での経験はとても糧になった。
別に、はっとする経験が出来るのは海外旅行だけではない。日常を少し飛び越えたところだったらどこにでも転がっているのだろう。
コロナ禍の今、なかなか未来が見えなくて、もやもやする気持ちもあるが、限られた時間の中で、挑戦できるものにはトライしてみたいと切に思う。