8月1日の朝、私は日本と過去の自分から逃げた。海外留学と言えば聞こえはいいが、実態は「逃亡」だった。

ずっと行きたかった海外留学。初めての挫折と、失敗と、諦めだった

高校2年だった私は完全に昼夜逆転、を越えて慢性的な寝不足。理由は課題。永遠に終わらなくて、ちっともテストはよくならなくて、部活も強くならなくて、もがき苦しんでいた。
ずっと行きたいと思っていた海外留学、嬉しい気持ちはもちろんあったけれど、この留学は、実は私にとって初めての、挫折と、失敗と、諦めだった。

1年間の冒険の行き先はデンマーク。当時は英語も話せなかったので、成田乗り換え。到着2時間前に出された軽食のサンドイッチ、客室乗務員さんに「チキン? フィッシュ? レインディアー? (トナカイ)」と北欧の洗礼を受けた。なんでもネタにしたい関西人魂を発揮した私と友人はもちろんレインディアーを選んだ。コペンハーゲン空港で、同じ地区から同じデンマークに留学した友人と別れた。そして、英語の話せない、16歳のちっぽけな女の子は1人、デンマークに入国した。
私がお世話になったホストファミリーは、とても親切で素敵な家族だ。ド田舎の丘の上の一軒家に住んでいて、丘を持っていた。

「丘を持ってる」がパワーワード過ぎて丘の形なんて頭に入らなかった

そう、丘を持っていた。広大な丘を持っていて、隣の家は1km先だった。丘はライ麦畑になっていて、他には何にもなかったので1km先のお隣さんの家もよく見えた。
バスは1日に7本。朝に4本、午後に3本。逃したら最寄りの駅から4km歩くことになる。風力発電で有名なデンマーク、畑に挟まれた歩道のない道を強風が吹き荒ぶ。だから絶対バスを逃すわけにはいかない。
そのバスは、なぜかバス停の名前を言ってくれない。表示もされない。なので、景色を見てボタンを押すしかない、のだが、街中ならともかく何もない畑の中だと難しい。ホストマザーが親切に教えてくれたのだけれど、「ねぇ、あの丘が見えるでしょ? あの丘が私たちの丘だから、あの丘が見えたらボタンを押しなさい。」と言われても、どの丘も一緒に見えるし、「丘を持ってる」という言葉がパワーワード過ぎて丘の形なんて頭に入らなかった。

こりゃだめだと思ったホストマザーは、メモ用紙を3枚用意して、「登校用」「下校用」「迷子用」と書いて渡してくれた。後から、デンマーク語が分かる様になって読んでみたら、「こんにちは、わたしはデンマーク語がわかりません。XXに行きたいです。着いたら教えてくれますか。お手数おかけします。」と書いてあった。ありがとうお母さん笑
そのメモを毎朝・夕見せてからバスに乗っていた。親切なバスのおじさん・おばさんたちがいつも教えてくれていた。

英語すら分からない私。文字通り座っていることしか出来なかった

そんな苦労(?)をして通っていた現地の高校の授業は、当たり前だが全てデンマーク語で行われていて、英語すら分からない私は文字通り座っていることしか出来なかった。親切なクラスメートが英語で説明してくれるけれど、私の英語力は高校の授業を受けれるほど高くなかった。ごめん。

3日通ってこれはだめだと思って、例えば向こうの国語にあたるデンマーク語の時間だけでも英語か初級のデンマーク語の授業を受けられないか、校長先生に直談判に行った。
普通に断られた。説得することもできない自分の言語力が悔しくて泣いた。8月半ば、着いてから2週間目ぐらいのことだった。

8月の最後の週に、留学斡旋団体主催のキャンプがあって、そこで世界中の留学生に会った。お互い英語が出来ない者同士とかだとコミュニケーションも難しかったけど、ちょっと日本語が分かるアメリカの子とか、台湾人の子が漢字で書いたりして教えてくれて、みんなめちゃくちゃ親切で、おまけに全く言葉が通じないメキシコ人とかがひたすらハグしたり一緒に踊ってくれて、人と関わるのを避けていた自分には新鮮だった。
みんな本当によくしてくれて、私は突然与えられたその親切に戸惑った。何も返せないのにどうすればいいんだ。似た出来事はこの1年間の留学中に何度もあって、留学中の私の1番の試練は、こうして与えられる無償の親切を素直に受け取ることを学ぶことだった。

あの夏の4週間は本当に特別で、今でも昨日のことのように思い出せる

言葉が全くわからない中に1人で飛び込んでいったあの8月は、10年経った今でも私の中で鮮烈すぎる思い出として残っている。あの時私がお世話になったホストファミリーと友人たち、街の人たちには感謝しかない。
その後ももちろん色んなことがあった1年間だったけれど、やはりあの夏の4週間は本当に特別で、今でも昨日のことのように思い出せる。当時よく聞いていた音楽を聞くと、ぶわっとあの時の、寂しさと、孤独と、悔しさと、でもキラキラしていた光景が蘇る。

「1番聞いたことのない国だから」というアホすぎる理由で選んだ国を、その後10年以上愛することになるなんて知りもしなかったあの夏。
言葉が通じないのに単身海外に乗り込んで、校長先生ひっ捕まえて話したり、迷子になって道ゆく人に場所を聞きまくった、夏の思い出。
臆病すぎる私の意外な一面を知って、今でも背中を押してくれる、ひと夏の挑戦だった。