私の父は、2年前に交通事故で亡くなった。

伝えたいことがたくさんあった。だけど、もう会えない。後悔しかない。だから見てほしい、私のクレイジー父の生き様。

多趣味な性格で、5人家族の私たちを支えるために日々奮闘していた父

私の父は警察官だった。後々聞いた話だけど、それは父の母(私の祖母)が無理やり敷いたレールだった。毎日色んなことがある警察官は本当に大変だったと思うけど、5人家族の私たちを支えるために日々奮闘していた。弟が怪我をして流血したときも顔色変えずに、さっと対応している冷静な場面を見ることもあり、尊敬していた。

だけど、父は変わった人だった。多趣味な性格で、休みの日はトランペットを吹いたり、ギターを弾いたり、ヨガをしたり、走ったり、サプリを飲んだり、極め付けには家に筋トレ道具一式も購入していて身体の管理を人一倍していた。だからムキムキまではいかないけど、シュッとして筋肉質だった。

そして、昔から口にしていた言葉は「もったいない」。水を使うにも「出しすぎだ」、ティッシュを使うときは「木からできていて使えば使うほど木が倒されていくから使うな」と色々言われてきた。

三兄弟の私たちは、全員小さい頃からそう言われていたので、少し理解はできるけど「ティッシュは使いたいから使うし、よくわからん」が本音だった。今思えば、地球環境を気にしている人たちが増え、私もその1人。これも先取りして、察知して考えていたのだと思うとすごいと思う。

そして、警察官だった父が口癖で言っていた言葉は「インドに行きたい」だった。私たちは、なぜインドなのか本当に理解できなかった。

私は大学生の卒業を機に、友人と観光でインドに行くことになった。誘われたので、自分でも行くとは思わなかった。インドに行くことが決まってビザを取り、父に報告してみた。そうすると正座して両手で受け取り、「おおぉ……これがインドのビザか!!すごいなお前は。まさかこの家からインドに行く奴が出てくるとは」と言っていたので、私は笑ったのを覚えている。おそらく、初めて父に尊敬された瞬間だった。

私はそんな父の憧れの国インドに行った。最初は毎日帰りたいと思った。でも、日にちが経つごとに慣れて来て、逆に帰りたくなくなった。父がインドへ行きたかった理由が少しわかる気がした。

父は警察官を辞め「これからは好きに生きる」と言いタイに行った

そして帰国後、父に土産と土産話を渡した。土産話が1番嬉しかったようだ。終始キラキラした目で私を見ながら話した。

そんな父に私がインドの話をしたせいか、私が就職するあたりでいつのまにか警察官を辞めていた。父の母が亡くなり、今まで縛られていたものがなくなったからだろう。「これからは好きに生きる」と言って、タイに行ってしまった。

家族は最悪だった。まだ弟と妹が高校生と中学生だったから。母も「働くな」と言われて専業主婦になっていたのに、これから働かなければいけなくなった。

父はタイに行って株をしたのか、2、3年経ったあと、どうやら退職金を含む全財産を使って、一文無しで帰ってきた父は家族から袋叩き。でも、父は落ち着いていた。子供の私たちがいる手前、冷静を装っていただけかもしれない。母は専業主婦から働き詰めになって、とても大変だったと思う。

一方、父は定職を見つけつつ、相変わらず家で英語の速読を勉強していた。やはり面白い人間だった。またいつか海外で働くための準備のようだった。

その後、私は転職することになり、その引っ越しの際に手伝いに来てくれて、片道10時間の道のりを一緒にハイエースで交代して運転し、着いてから初めてサシ飲みしたことを覚えている。

近くの居酒屋で焼き鳥を食べながら話した。話した内容はそんなに覚えていない。でも、それが居心地が良かったのは覚えている。お金もないはずだけど、私が払おうとしたら全部出してくれた。父は優しい人だった。あれが最初で最後のサシ飲み。

引越しが終わり退職した時、メールで言われた言葉「夢に向けて今までよく努力してきた、よう頑張ったな!」は、今でも私の宝物。そんな風に思ったくれていたのは知らなかった。

私は努力が苦手だ。だけど唯一努力できたこと、それは夢に掲げたイルカのトレーナーになることだった。それが努力だったと認めてくれたのが、父だったのも嬉しかった。そして、弟と妹からも、そんなこと言われたことないと羨ましがられた。

私が27歳の時に、父は交通事故で亡くなり「別れ」も言えなかった

その後少し経ち、父もケニアでの仕事が決まり、アフリカへ旅立っていった。いつ死んでもおかしくない環境だったようだが父には肌に合っていたようで、とても楽しんでいる様子が送られてきていた。アフリカに馴染んだときには、本当にクレイジーな父だと再確認したと同時に、私と似ていることも再確認した。

そして1年くらい経った時、また辞めて帰ってきた。本当にお騒がせな父だった。軽く働きながら、また英語の速読をしたりしていた。その間、父の父(私の祖父)が私たちの家に住むことになり、母は介護と仕事を両方していて身も心もボロボロになっていたと思う。だから、大晦日に家族会議をしたこともあった。私が取り乱し、話が終わった後は地獄のような時間だったけど、父を責めたことを反省している。

そして、私が引っ越して半年経ったある日、私が27歳の時に父は急に亡くなった。病気も嫌だけど、事故は別れも言えない。急すぎて辛すぎて、何も考えられなかった。だけど家族を支える父がいなくなり、しっかりしなければいけないのは長女である私だった。だから家族の前では泣かなかった。

人は死んでしまえばずるいことに、良いところばかり思い出す。本当にずるいと思う。還暦になる年に、私は父と海外旅行に行くことを考えていた矢先だった。2人で海外旅行に行きたかった。

今思っても、本当に後悔しかない。でも、父が残してくれたものはたくさんあって、人をより大切に思うようになったし、私は優しい人間になれたと思う。だからすごく感謝している。今まで本当にお疲れ様。現状が落ち着いたら、父を連れてインドに行こうと思う。ありがとう父さん、大好きです。