中学校3年生の夏、私は学校を代表して市の英語スピーチ大会に出ることになった。夏休み明けから、放課後にネイティブの先生がスピーチを見てくれることになっていた。

軍医として戦争に行った話を得意げに話す先生を見て、避けるように

秋から新しくやってきたアメリカ人の先生は、日本人の奥さんと結婚して日本に移住してきたそうだ。英語の授業では40人のクラスにいる一人の生徒なので、ほとんど話す機会はなかったが、放課後にスピーチコンテストに参加するもう一人の生徒と3人で過ごす時間が増えた。発音やジェスチャー、抑揚の付け方などを丁寧に教えてくれて、結果として私は大会で入賞できた。

でも、私はその大会以降、先生を避けるようになった。別の学校のネイティブの先生に、自分が軍医としてイラク戦争にいっていたこと、その時に銃弾を受けたことを、傷を見せながら得意げに話していたところを目撃したからだ。当時の私には、戦争に行ったことを自慢するということが理解できなかった。学校の授業で習ったのは、「戦争はよくない、絶対にダメ」ということ。イラク戦争が批判されているニュースもたくさん見た。自慢げに話す先生が、狂った人間に見えて、怖かった。

学校で声をかけてくれても、気づかないふりをした。いちど「君に話しかけているのに何で返事をしてくれないの?」と聞かれたけれど、答えなかった。戦争を肯定する人となんて話したくなかったから。それっきり、先生とは会っていない。

成長し学んだ、私の知る戦争が全てではないこと、異国生活の難しさ

高校で世界史を学び、戦争を必ずしも悪と捉えない国が存在することも、世界各地で紛争が起こっており、中学校で学んだ第二次世界大戦だけが「戦争」じゃないと知った。大学生になって国際政治を学び、紛争後の平和構築のためにアメリカをはじめとする先進国の軍隊が紛争地に訪れて市民の安全のために活動している事例があることも知った。私は、狭い視野で一方的に先生を悪者と決めつけ、理解しようとしなかったのだ。イラク戦争を、アメリカ人である先生が肯定的に捉えても全くおかしくないじゃないか。医師として、自分の国のために働いたことを誇りに思って、当たり前じゃないか。

海外の大学院に進学し、外国人として異国で生活することの難しさも知った。先生は、たった一人、田舎町でほとんどの人と言葉も通じない中で、どんなに心細かっただろう。生徒の中で、英語が少しわかる子がいて、仲良くしたいと思ってくれたのかもしれない。それなのに、私は勝手な勘違いで、コミュニケーションをとることを拒否した。私に無視されて、先生は傷ついただろうか。ティーンエイジャーがヘソを曲げている、くらいに軽く思っていたのだったらいいのに、などと都合のいいことを考えてしまう。

戦争はない方がいいけれど、今なら先生の誇りに思う気持ちわかります

先生、もう先生がどこにいるかわからないけれど、私のことなんか忘れているかもしれないけれど、先生のことを理解しようとせずに拒否したこと、私はずっと後悔しています。世界に異なる価値観を持つ人がたくさんいるということを知り、あの頃よりずっと上手になった英語で、いろんな人とコミュニケーションをとれるようになりました。国際機関でインターンをして、陸軍出身のアメリカ人とも働きました。戦争はない方がいいと思うけれど、今なら先生がイラクに行ったことを誇りに思う気持ち、理解できます。許してくださいとは言えないけれど、せめて、ごめんなさいと言わせてください。