負けず嫌いな私。先輩からの「一人芝居やりなよ」に挑戦することに

「一人芝居やりなよ」
大好きな恋人とやっぱり別れることにしたと報告すると、先輩はそう言った。その先輩は半年前に、四年間引きずった相手への気持ちを一人芝居にしていたのだ。
それは確かに魅力的な提案だったけれど、私はすぐには肯定的な返事が出来ないでいた。

大好きな演劇でさえも、恋人と出会ってからは心底どうでもよくなってしまっていて、もう一年近くも距離を置いていたからだ。今更演劇に興味を向けられるのか分からなかったし、高校の演劇部以外で自分が主宰の公演を打つなどという初めての経験に、すっかり尻込みしてしまっていた。

「そうか。残念だけど、確かに準備とか大変だしね。無理には勧めないよ」とあっさりと引き下がられると、しかし、なんだか負けず嫌いが顔を出してきて、「いや、やっぱりやってみます」と、言っている自分がいた。

何も具体的なことが決まっていないままに、キャパ20人ほどのスタジオに連絡をし、高校の同期に裏方業の依頼をした。お盆の土日なら諸々のタイミングが合うということで、思いついた二日後には日程まで決まってしまった。

なんとか奮い立たせ、脚本が出来上がったのは本番一週間前だった

だけどやはり、そこからがなかなか容易には進まない。高校時代に何本か脚本を書いてはいたが、一人芝居は書いたことがなかったし、なにより高校を卒業してからもう三年も経ってしまっていた。

別れた恋人への思いはいろいろあるけれど、まだうまく言語化できる状態でもなかったし、そのままを訴えるだけでは芝居の形にはなりそうもない。うだうだと御託を並べては後回しにする日々が続き、そうこうしている間にも、20歳の春というのは、生きているだけでいろいろな事件が起こるもので、なんだかもう、一人芝居なんてどうでもいいような気がしてきた。

だけど、もうクオリティなんてどうだっていいから、やると決めたものはとりあえずやってみよう。自分が決めたことなのだからと、なんとか奮い立たせ、本番1週間前にようやく脚本が完成した。

そこからの毎日はとにかく「形にしなければ」と必死で、正直あまり覚えてはいない。本番三日前にわかりやすく知恵熱を出して、人生初の39度にうなされたりもしたけれど、不思議なことにスケジュール通りに本番を迎えることができた。

楽しくて、終わりが惜しくて、最後の公演後、自己満足の上演をした

楽しかった。
楽しすぎてびっくりしてしまった。

そういえば演劇はこんなに楽しかったし、私はこんなに演劇が好きだったのだと久しぶりに思い出せた。そして同時に、「ああ、こんなに大好きなものを忘れるくらい、あの人のことが好きだったのだな」と思った。
終わってしまうのが惜しくて、最後の回の終わりに、無観客の中、もう一回だけ自己満足の上演をした。

「あなたのことが、もう、好きで好きでたまらない。それなのに、私、どうしたらいいですか?これから、どう生きていったらいいんですか?」
というラストのセリフは、もう泣きすぎてうまく言えなかった。

小さいスタジオなので片付けも30分ほどで終わり、私と同期は簡単な打ち上げに向かった。
ちょっとした悪ノリだった。私たちは、私の元恋人が働いているファミレスに行くことにした。あんな盛大な憂さ晴らしをした直後なのに、私はまだどこかで復縁を望んでいたらしい。

だけどそこに本人はいなくて、代わりに、私と元恋人の関係性を知っている知人が働いていた。知人は私に気がつき、久しぶり、と声をかけてきた。

「元恋人くんに聞いたけど、君って束縛する人だったんだね」
悪気なく、何気ない会話の流れでそう言われて、私は、あぁ……、と思った。
確かにそれは否定できないけれど、私とも元恋人ともさほど仲が良かった訳ではないこの人からそんな言葉が出てくるということは、なんだかもう、そういうことなんだなあ、と思った。

動いてないLINEのトーク画面を開き、ブロックのボタンを押した

知人とは5分ほど話してから別れ、私と同期はそのまま居酒屋に向かった。
本当はそのまま朝まで同期と飲み明かしたかったけれど、門限の厳しい彼女は、「ごめんね…」と言い残して終電前に帰ってしまった。

けれど私はまだ家に帰る気にはなれず、5時間ほどを一人ぼっちでフラフラとやり過ごし、眠い目をこすりながら始発に乗り込んだ。
朝日が眩しい電車の中で、もう3か月以上動いていないLINEのトークを開き、ブロックのボタンをタップした。

「お盆だから、元恋人を供養しよう」なんておどけて言っていたけれど、本当はいつまでも成仏できないでいたのは私の方で、もしかしたら彼が芝居を見に来てくれるんじゃないかとすら、本気で思ってしまっていた。だけど、これで本当の本当に終わり。そう思うと、不思議と寂しさはなかった。

あの夏からもうすぐ2年が経つ。この2年の間にも本当にいろいろなことがあったけれど、私は普通に生きられている。
だけど、あの夏、どう生きていけばいいのかと本気で悩んでいたからこそ、今があるような気もする。

だから、ありがとう。
きっと一生忘れられない夏だった。