「お母さん、この子の文章力、もっと伸ばしてあげてください」。

ホームビデオに映るのは4歳くらいの女の子。カメラの前で手描きの紙芝居を堂々と披露している。その絵の裏には何も書かれていなかった。少女の母は「絵が上手ね」としょっちゅう褒めた。少女の夢は「絵描き」だった。
小学生になった彼女が描くほとんどの絵の上には、金色のおりがみが貼られる。学年全員の絵が廊下に出そろうと、彼女は次の日の朝が待ち遠しかった。

書いた文が誰かの笑顔につながる幸せ。将来の夢は「文章を書く人」に

中学1年生、スキー合宿でクラスの出し物が劇に決まった、というよりは、私が「やりたい」と言った。その責任感から「私が脚本やるから」と言ってしまった。でも、不思議と不安はなかった。さっそく、自由帳に劇中のイメージとセリフ、流れを描き始める。
イメージがよほど明確だったのだろう。私は監督もプロデューサーも兼任してしまった。演者が積極的だったこともあって、すごく楽しかった。
本番当日、完全裏方の私は袖から作品を見守っていた。大広間からみんなの笑い声が聞こえる。みんなを楽しませることができた!自分が楽しんで作ったものが、他の人の笑顔にもつながる幸せを感じた。「脚本はあなただったの?すごいじゃない!」と何人かの先生に称えられ、好き勝手やった私は『そんなにすごかったか?』と調子にのった。

「さわやかなソーダ味がシュワシュワと音を立ててはじけた」。
「ガリガリ君を一口食べた」につづいて、こう書き入れた。国語の時間だった。先生はみんなの前でこれを読み上げた。
夏休み前、先生は私に、読書感想文を書いてみないか、と提案した。私は夏休み中も、部活終わりに職員室に通い、先生の添削を重ねた。先生は「これを市内の図書館コンクールに出すから」と言った。私は先生に期待されていることが、なによりも嬉しかった。
感想文を書いたことも忘れていた頃、「優秀賞だよ」、この言葉と一緒に渡された冊子には、自分の名前とまぎれもなく私が書いた文章が、たくましく活字となっていた。
卒業式、母親とともに先生に挨拶をしにいった。すると先生は、「お母さん、この子の文章力、もっと伸ばしてあげてください」と言った。

この瞬間から私の夢は「文章を書く人」になった。

新聞部の活動から学びの楽しさを知り、進路選択の基準にもつながった

高校に入学。私は迷いなく新聞部を選んだ。自分が書いた文章がみんなに読まれると思うと、ワクワクした。
新聞部の活動は、私の視野を大きく広げた。記事を書くまでに企画決定、取材交渉、レイアウト決めなど、多くの段階を経る。自分の足を使わないと新聞はできない。新聞づくりの目的は情報を届けることだが、取材を通して、読者よりも多くの学びを得られるのが記者である。活動していると、点と点がつながる感覚があった。「この人が言っていることは、あの人が言っていたことにつながるな」。この感覚が好きで、学びの楽しさとはこれだ!と思った。実は、それが大学選びの基準にもつながる。
現在、大学3年生、もうすぐ4年生。就活。スマホをのぞけば「インターン」、「自己分析」、「エントリーシート」…。「カスタマイズされた広告」は、現実を見ろよ、とうるさいほど言ってくる。

書くことを絶対に辞めない。私の夢をかなえられるのは私だけ

「文章力を伸ばしてあげてください」。先生のことばを最近よく思い出す。「即興紙芝居」をしていた少女が本当に喜びとしていたことは、絵を上手に描くことよりも、自分から溢れ出る物語を「ことば」で紡ぐことだったのかもしれない。
思い返せば、一人遊びも飽きずにやっていた。自分の「あたま」さえあれば、遊ぶには十分なのだ。きっと、今までことばを紡ぐことを軸にして生きてきた。高校生の頃から始めた不定期の日記。100均で買った分厚い紙束の1冊がもうそろそろ終わりを迎えそうだった。自分からあふれた言葉がぶち込まれている。
中学生のときに初めて自分の意思で掲げた夢。どんな未来が待っていようと、私は書くことを絶対に辞めない。そう誓った瞬間、私が私であることを取り戻せるような気がした。私の夢をかなえられるのは私だけだ。