緊急事態宣言の延長に伴い、私たちの結婚もまた延期だ。

同居を3日後に控えた日に、彼から延期の相談をされた。同居先で関わる人たちから苦情があったそうだ。ここで無理に同居をすれば、後でいろいろやりづらくなるだろう。これは飲むしかない。

仕方ないとは思ってもやはり、そう簡単に割り切れるものじゃなかった。まだ納得していない。

緊急事態宣言に伴い同居が延期。でも、私に「気づき」を与えてくれた

自分磨きも思いつくものは全てしてしまったし、地元での遊び納め(感染対策はしっかりして、家からの距離や滞在時間、混み具合も考え、お酒は飲んでいません)も終わったところだった。会えない期間を成長の機会と捉え、やってみたかったことも挑戦し尽くした。やっと全て終えて、地元にももう数年戻ることはないと気持ちを落ち着けたところだった。

こんな時に動くのは、非常識だと言われたそうだ。私は反対したかったが、彼も生半可な気持ちでこんなことを頼んだわけがなかった。親なら説得するが、ご近所さんとなると難しいと、もはや打診ではなく、懇願されてしまった。

なんでこんな思いをしなければならないのだろうと嘆いたけれど、思い返して気がついた。私もなんだかんだ、同居に不安があった。

彼は分担すると言ってくれたが、私は専業主婦になる自分が、家事の多くを担うべきだと思っている。家事を1人でこなす自信もなかったし、私にはまだまだ他力本願なところがあった。結婚そのものについても、皆結婚してるからそろそろ結婚したいなとか、そういう思いがあった。

みっともなかったと、今更気がついた。思いがけず、自分の至らなさに直面することとなった。私が悪いから延期になったわけではないにしろ、今回のことは、私に気づきを与えるきっかけになった。

他人の行動は変えられないけど、自粛期間「自分の行動」は変えられる

SNSやテレビを見ると、こんな時でも平気で遊びに行く人もいて、都内から移動する人もたくさんいて、気が滅入ってしまう。よくそんなことをSNSにあげられるなぁ、よくテレビで答えられるなぁと、侮蔑に近い感情を抱くようにもなった。それまではSNSで旅行の様子をあげられても、「いいね」はできないなくらいにしか思わなかったけれど、延期をきっかけにそういう人たちが憎らしくなってきた。

しかし、それを非難しても仕方ない。少しは控えてくれないかなぁなんて思うけど、他人の行動を変えることはできない。

一方で、自分は変えられる。これは自分を変えるいい機会だ。だから変わろう。頑張ろう。1年以上の結婚延期を経て、やっぱり悔しくなる。涙が出そうになる。だからこそ、こうでも思わなければ、やっていられない。

多くの学生が、コロナで同じ気持ちを味わってきたのだろう。大人は遊んでいるのに、自分たちはなぜ我慢しなければならないんだろう。なぜ自分たちは、楽しみにしていた行事もなくなるんだろう。大人は遊んでいるのに。自分たちだけ。そう思ってきたんじゃないか。

もちろん、全ての大人が遊んでいるわけではない。きちんと自粛している人もたくさんいる。でも、やっぱり自粛していない人が目について、そんな文句が出てしまう。多くの人が「もういいだろう」と思っているんじゃないか。

その気の緩みがコロナ禍を長引かせていると思うと歯痒い。だからって、誰かを責めたって何にもならない。そりゃ虚しいし、悔しくなる。でも、耐えるしかない。当たったって、その人が行動を改めるはずがない。

私は、この期間を無駄にしたくはないから、人に文句を言わない。代わりに、自分の結婚に対する不安を全て潰すことにした。今の私にできる、未来への投資はこれくらいのものだからだ。

先の見えない自粛生活を実りあるものにするため、今できることをする

この1ヶ月を、いやもっと長い期間になるかもしれないこの自粛生活を、少しでも実りあるものにするために、私は今できることをする。他人のために自粛してやるのなんかごめんだからこそ、私のために、私は自粛期間を自分を鍛える期間にすることにした。

いろいろあるけどとりあえず、自分の家事の分担を増やそう。実家にいるのでつい甘えてしまうが、それが良くなかったことが今回よくわかった。風呂掃除も、私の家事の分担に加えよう。

一番力を入れるべきことは、自粛だろう。ここ最近の自分の行動を振り返ると、まぁ気をつけている、短時間、市内のみにとどめているとはいえ、結構外出はしていた。引っ越し前だったからなんて、言い訳にすぎない。

大体週に1日程度だが、多いと考える人も、少ないと考える人もいるだろう。まずは自分の行動から改めなければならない。私も、わかっていない大人の1人だった。

自分で変えられることがある。だから頑張ろうと思うと、少しは未来が明るく見えなくもないかもしれない。いや、今かなり強がってみた。本当はかなりへこんでいる。

でも、へこんで悲しい時間をただ過ごすより、惚れ直させる努力をしてやりたい。コロナに終わりは見えないけど、戦いようはある。多分、私の敵はコロナそのものではない。次こそは延期にならないよう対策も打ってある。

例えば「全然外出していないから」ということだって、同居を押し切る材料にはなる。誰も助けてはくれないから、自分が工夫してなんとかしなければならない。へこんでいる暇はなかった。

とはいえ、これは空元気だ。明日から本当に頑張れるのか、不安だ。それでも押し通す。それしかできることがない。世間の厳しさを改めて思い知った。ここに書くことだって、対策の1つだ。知ったからって誰も助けてはくれないけれど、これを見て自粛してくれる人はいるかもしれない。小さなことだけど、できることはある。そういうことを1つずつ積み重ねて、皆でコロナ禍を乗り越えよう。つらくても、1人じゃないから。