わたしは本を読むことがすきだ。本を読んでいる間は、話しかけられても聞こえなくなってしまうほど、その世界に集中する。周りに「そんなにすきなら自分で書いてみたら?」と言われることが多々あったが、本がすきだからこそ、自分にそんなことが出来るわけがないと思い、笑って済ませていた。

入職して体調を崩し3ヶ月で休職。自分が情けなかった…

大学を卒業して、附属の大学病院に就職した。社会人としての上下関係、そりの合わない同期、癖のある患者、理想と現実のギャップ。慣れない業務で、入職して3ヶ月で体調を崩した。毎日毎日吐き気がして、もうだめだと思い、休職した。

同じ時期に入職した仲間は慣れないながらも奮闘しているのに、脱落した自分が情けなかった。わたしは何にも繋がれないのだと感じた。

休職してしばらくは何もする気が起きず、ひたすらに寝る日々が続いた。寝るのにも飽きたら、布団の中でだいすきな本を読んだ。わたしには敬愛する作家がいる。その作家の本を、何度も何度も読んだ。大丈夫だ、わたしは大丈夫だ、と読みながら何度も自分に言い聞かせた。

そして7月のある日、「書いてみようかな」と思った。この作家のように、自分の感性丸出しのものを、ひとつ生み出してみたいと思った。久しぶりに、布団から出た。原稿用紙を買いに文房具店に行く道すがら、わたしは久しぶりにワクワクしていた。楽しい。その感覚を取り戻していた。

本が好きなら私も書いてみようと、鉛筆を握り原稿用紙に物語を書いた

家に帰り、さっそく机に向かった。プロの作家はプロットというものをまず書くらしい。しかしわたしは、ありのままを、ぐちゃぐちゃな文章でもいいからそのとき思ったそのままを書きたいと思い、とにかく鉛筆を握り原稿用紙に文字を書いた。

朝も夜もなく書き続けて、20日ほどでひとつの物語が完成した。10代の少年少女のどうしようもない万能感と何者にもなれない無力感を書いた。

そして丁度その頃、ある自費出版の会社が、書いたものを講評するということを行っていると知った。普段のわたしなら、絶対に誰にも見せたくないと思っただろう。しかし、あの頃のわたしは自分という色を、頭の中の世界を、誰かに知って欲しくてたまらなかった。情けなさを、物語として昇華し、世界に気付いて欲しかった。

コンタクトを取り、実際に出版社に出向いた。その際、担当してくださった方に「面白いのでじっくり読みたい、是非原稿をコピーして送ってほしい」と言われた。嬉しかった。わたしの頭の中の世界が、外の世界と繋がれた気がした。

「書くこと」に挑戦したのは、わたしの中で大きな出来事となった

後日、コピーした原稿を送ると、メールで講評が送られてきた。そこには、わたしが意図したように「万能感と無力感が描かれている」とあった。さらに「一見感情的なようで、読者の心を掴むロジカルな思考で書かれている」とも書かれていた。

ロジカルな思考、なつもりはサラサラなかったが、むしろ感情のままに書いたつもりだったが、他人から見たらそう見えるのかと思った。

生まれて初めて書いたそれを、わたしはある文芸誌の新人賞に応募した。当然、どの段階の選考にも引っかかることなく落選したけれど、それでもあの夏に“書く”ことに挑戦したのは、わたしの中で大きな出来事であった。わたしでも繋がれるものを見つけられたのだ。

現在、こうしてエッセイを投稿している。わたしのエッセイを読んで、少しでも、自分にも出来るかもしれないと思ってくれる人がいたら嬉しい、と思うのは傲慢だろうか。でも、それでもいい。書くことって楽しいよ。