中学3年生、非常に消極的な挑戦をした。
『夏の大会に出ない』

私は5歳からバトンを習っていた。見学に行った際に「やりたい」とわたしが言った、らしい。
母親に連れられて2歳年下の妹と毎週レッスンに通った。小学校に上がると同時に父親の仕事の関係で隣の県に引っ越すことになったのだが、所属していた団体が全国展開していたため、問題なく続けることができた。

恒例行事。両親に言われるがまま、小学2年生の夏から大会に出続けて

小学2年生の夏、両親に言われるがままに初めて大会に出ることになった。
大会の際は、県内各地にある5つの教室から希望者を募り、オーディションの末、大会用のチームが組まれる。私の教室から出場する人は数年おらず、知らない人ばかりのチームに放り込まれた。
チームメイトは小学2~4年生の7人。わたし以外のチームメイトは教室が同じだったり、大会経験者だったりで顔見知りだった。
最初のレッスンの日、人見知りのわたしは親の陰に隠れるしかなかった。教えてくれるのはいつも教室に来るコーチの他に、中学生や高校生のお姉さんたち。毎週日曜日、親に連れられ県内各地の体育館に通い、9時から17時までひたすら練習。帰りは親からのダメ出しを聞き、翌日は筋肉痛の体を引きずって小学校に行かなければならない。
憂鬱な日曜日だ。

でも友達もできたりして、冬の大会も翌年の夏の大会にも出場した。年を追う毎に、“恒例行事”になった。親の「出る?」という言葉が「今年はどの種目にする?」に変化したことに疑問すら抱かなかった。
わたしの1年は春に行われる大会オーディションから始まり、GWは夏の大会に向けた3泊4日の合宿、大会が終われば発表会の準備。それから冬の大会。それを7年間繰り返した。

理由なんてどうでもよかった。とにかく、バトンから離れたかった

中3の春、その年もオーデションのプリントが配られた。
(出たくない)
私はバトンが嫌いになりつつあった。理由はよく分からなかった。
ただただレッスンに行くのが嫌だった。それに元々怠惰な性格であるから、家での自主練習も面倒くさかった。

私は親を説得するための『大会に出たくない理由』を考えた。
たしか“受験だから“とか“中学の部活の大会を優先したい“とか言った気がするけどはっきりと覚えていない。それくらい理由なんてどうでもよかった。とにかく、バトンから離れたかった。
ある晩、私は親に夏の大会は出ないことを告げた。両親は驚いたようだったが、
「わかった」
とあっさりと受けいれ、妹のプリントにだけ記入した。
(え?こんなもん?)
毎年恒例、GWの3泊4日合宿の準備より気合いを入れたのに……(合宿のレッスン内容は通常の練習より厳しく、毎年泣いていた)。

バトンが嫌いなのではなく、親に見られているのが窮屈だった

週末の予定がなくなり自由を手に入れたが、特にしたいことはなかった。テスト前や部活がある日以外は、母が運転する車に乗り、妹が参加するレッスンの手伝いに行った。ほぼ毎週のように参加していたから、コーチには「出ればよかったのに」と笑われた。
私もそう思った。楽しそうに踊る妹が羨ましかった。

そんな後悔をした挑戦ではあったが、気がつかせてくれたことがあった。それはバトンが嫌いなのではなく、親に見られているのが窮屈だったのだ。
出ることを前提とされた大会、親に見られながら受けるレッスン。
毎週末、片道1時間以上運転して付き添ってくれることに感謝していたし、そんな親に「レッスンを見ないで」と言ってはならないということはわかっていた。「やめたい」など口が裂けても言えなかった。もはや誰のためにバトンをしているのか分からなかった。

夏休みが終わり、いよいよ受験する高校を決める時期になった。志望校をバトン部のある高校からマーチング部のある高校に変更してプリントを提出した。
昇降口を出ると、ひぐらしの鳴き声が響いていた。